中沢 雪城 なかざわ せつじょう
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蘭竹と梅菊。 各自その美をほしいままにする。 会する盟主者は誰ぞ。 城を穀(よくす)る雲根の子。 |
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31.7p×110p |
文化7年(1810)生〜慶応2年(1866)2月歿 |
名は俊卿、あざなは子國、通構行藏、雪城はその号。越後長岡の藩士の家に生れ、長じて藩学崇徳館に学んだ。この時、崇徳館より三名の江戸への留学生を出すことになったが、その際雪城は選抜にもれてしまった。 そこで彼は憤然として独力で江戸に上り、市河米庵の門に入り、のち巻菱湖について書法を学び、大成した。筆蹟は「流麗で出藍の誉あり」と言われた。性格は豪宕磊落で奇行が多かった。弟子に巌谷一六・金井金洞・西川春洞らがいる。 また、斎藤拙堂編の中澤雪城書『三體筆陣雋語』(安政4年序刊)がある。 「雪城居士」の下に、白文の「俊卿之印」、同じく白文の「越国雪城」の落款印が押されている。 推奨サイト http://www.ne.jp/asahi/ohsagami/salon-koshoga/07m/t11m08.html |