三井 親和 みつい しんな
   

松下問童子
言師採薬去
只在此山中
雲深不知處
松下にて童子に問えば
言う 師は薬を採らんとして去れり
只だ此の山中に在らんも
雲深くして処を知らずと           賈島の詩「尋隠者不偶(隠者を尋ねしも偶わず)」
98p×57p

元禄13年(1700)生〜天明2年(1782)歿  
 字は孺卿、通称は孫兵衛、龍湖また深川漁父、珍話・萬玉亭と号した。信濃(長野県)の人で、つとに江戸に出て、書を湯島の禅僧東湖に学んだ。12歳の時細井廣澤の門に入り、廣沢門の四天王の一人として各書体に精通し、特に篆書に優れた。師の廣澤の没後、関思恭とともにその書名は高く、その住居が深川であったところから深川親和と称せられた。社寺の額や祭礼の幟などに揮毫を乞うものが多く、江戸の所々にその書は見られ、「どの祭りにも深川の親父出る」という川柳がある。またその篆書は染物に用いられ、それを「親和染」の名で一世を風靡した。
 親和は書道の達人であるばかりでなく、弓馬の術にも達し、深川の三十三間堂で千射を試み、通矢480本に及んだ。天明2年3月7日年83歳で没し、深川の増林寺に葬られた。
 「七十三歳親和書」の下に、白文の「流流詠太素」、朱文の「親和之印」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.city.suwa.nagano.jp/scm/dat/nandemo/gojuuon/32_mi/~mi_11.htm
http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=mi&s=60
https://info.shinmai.co.jp/book/datafile/001183.php
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=F02&processId=00&start=1&Title=&Artist=%8EO%88%E4%90e%98a&Site=&Period=&FromNo=&ToNo=
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-505.html
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-304.html
http://www.city.koto.lg.jp/sisetsu/8739.html


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