杉渓 六橋 すぎたに ろっきょう
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雲眠りて 山映えんと欲す 花白く 水逾(いよいよ)青し 人は養なう 煙霞の癖 鳥声随意に聴く 画に題す百絶の一 |
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129p×32p |
慶応元年5月13日(新暦 1865年6月6日)生〜昭和19年(1944)10月30日歿 |
伯爵山科言縄の三男、京都生。名は言長、深柳堂などと号した。3歳の時興福寺に入って出家したが、4歳の時に還俗し5歳の時から杉渓と名のる。20歳の時男爵を授けられ、26歳のときから貴族院議員となり30余年就任した。 漢学を北村竜象・草場船山につき、詩を林雙橋・神田香巌に学び、画を重春塘に習った。書は遠山盧山・北村龍象・小林卓斎らに学ぶ一方、貫名菘翁に私淑し、風韻に富んだ行書を能くした。華族の中でも屈指の文人として知られる。 「六橋漁者」の下に、白文の「言長之印」、朱文の「信卿」の落款印が押されている。 推奨サイト http://www.kowado.net/jinmeiss.htm http://www.ink.or.jp/~narakame/02html/02_sr_113_1_5.html |