佐瀬 得所
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遊人五陵へと去る 宝剣 直千金 手を分かつに脱して相贈る 平生一片の心 (孟浩然詩「送朱大入秦」) |
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134.0p×49.6p×2 |
文政5年10月28日(新暦 1822年12月11日)生〜明治11(1878)年1月2日歿 |
会津の人で、名は恒、字は子象、通称は八太夫、号を得所・松城などと称し、幼時より書を好み、諸家の筆跡につき博渉研鑽したが、最も歐陽詢・趙子昴を学んだ。のち長崎で清人銭少虎・江元曦などと筆法を論じた。更に中国に渡って書法を研鑽すること2年、帰国後は東京に居した。 晩年には「修斉廉節」の大字が明治天皇の御覧に浴し、名声高く会津第一の書家と称された。備中松山藩板倉侯の姫君付き奥祐筆となり、幕末に会津娘子軍隊長となった中野竹子の、書の師でもある。 「得所老人書」の下に、白文の「瀬恒」、朱文の「子象」の落款印が押されている。 推奨サイト http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-240.html http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/dasearch/dirsearch.php?start_record=901&cc=07_02_08&sort_key=creator&asc_desc=desc&display_qt=100&keyword=&and_or=AND&within_category= |