柳沢 淇園 やなぎさわ きえん
   

宝永元年(1704)生〜宝暦8年(1758)歿  
148p×63p

 江戸時代中期の文人、画家。名は貞貴、里恭、通称権大夫、字は公美、号は淇園、別号は竹渓または玉桂、修して柳里恭と称した。
 大和郡山藩柳沢家の重臣で、朱子学を中心にして仏典、本草、音律、書画、篆刻など16芸に達した多芸多才の人であったので、諸方から教えをこうもの多く、その家はつねに食客に満ちており、武臣よりは儒者の生活と使命とで終始した。
 その学殖は後に編集した『雲萍雑志』『鬢鏡』『ひとりね』などの随筆によって知ることができるが、その豊富で最新の知識が宝暦・明和期(1751〜72)以後の文人隆盛時代を生む源泉であった。
 なお、淇園にはおもに掛幅で精密濃彩な花卉翎毛画がかなり残っているが、それらは中国の院体系の花鳥画を学んだもので、一流の専門画家に匹敵する価値をもち、その画技は紀州瀋の祇園南海に学んだと伝えられる。これらの作品は池大雅などの南画の興隆に影響したともいわれるが、確かに文人としての感化は多かったであろうが、作品のうえでは当時の南画ないし文人画と直接の関係はないようだ。
 「柳里恭」の下に、朱文の「公美」、両側を白文の龍で夾まれた朱文の「玉桂」の落款印が押されている。

推奨サイト
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識書 高橋道斎
(江戸時代中期の学者・書家・俳人・多胡碑の紹介者)


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