金井 金洞 かない きんどう
   

客到豈空淡
四壁圖書聊當酒
春来無別事
一廉花雨含催詩
客到りて 豈に空しく淡し
四壁の図書 聊か酒に当たる
春来里手 別事無し
一廉の花雨 詩を催するを含む
135p×33.5p

天保4年(1833)9月生〜明治40年(1907)5月1日歿
 名は之恭(ゆきやす)、字は子誠、通橋は文八郎といい、金洞・梧樓・錦鶏などの号がある。上野国(群馬県)佐波郡島村の画家金井烏洲の四男として生れた。母は深谷市新戒の福島熙周の次女紀伊。一時木崎宿桑原家に入り、桑原梧樓を称した。
 はじめ家学をうけ、のち後藤松陰に師事した。つとに尊王の志を懐き、同志を集め討幕の軍を挙げんとし捕えられ幽囚せられたが、官軍に救出された。維新の後は東京に出で市政局に奉職し、金井姓に復した。権小史・内閣台書記官などの諸官を経て、明治22年(1889)に元老院議官となり、24年には貴族院議員に勅選せられた。
 書は、はじめ中澤雪城につき学んだが、後、貫名海屋の書風に傾倒した。明治9年4月19日、明治天皇が麹町三番町の大久保利通邸に臨幸した際、利通側近の秘蔵っ子である金井金洞と鳴鶴の両名は御前揮毫の栄に浴した。このデモンストレーションで書家として名声が上がったが、鳴鶴も一六も金洞も専門書家ではなかった。当時の書家番付には「官途遊戯」という欄があって官界で詩書画をたしなむ趣味家といった扱いであった。他に長三洲、勝海舟、山岡鉄舟、杉聴雨等の名が見える。享年75歳、浜松で客死した。
 「梧樓主人之恭」の下に白文回文の「金之恭印」、朱文の「梧樓」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E4%BA%95%E4%B9%8B%E6%81%AD
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-393.html
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%B6%E2%B0%E6%C7%B7%B6%B3/detail.html?LINK=1&kind=epedia


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