村田 香谷 むらた こうこく
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荷花(=蓮の花)已に謝して 菊花開く 秋老いし江山 詩興催す 従って是 畢生(=一生涯) 須く酔いに尽き 霜(のおりたような)螯(=蟹のはさみ) 磊落(=数が多いさま)として 盤に上って来る 明治六年(1875)清明節(春分の後十五日目) |
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112p×30p |
天保2年(1831)生〜大正元年(1912)10月8日歿 制作年 明治6年(1875) 45歳 |
福岡県筑前出身。本名は叔。別号は蘭雪、適圃。天保の頃に筑前の四大画家と呼ばれた村田東圃の養子で、門人に青木琴水などがいる。画を貫名海屋に、詩を梁川星巌に学ぶ。のち長崎に遊び、徐雨亭・鉄翁祖門・木下逸雲について南画を修める。山水に巧みで、詩書も能くした。また、高橋草坪の『集古名公画式』を補訂・刊行した。 明治30年(1897)に猪瀬東寧・川村雨谷・中島杉陰・菅原白龍・石井鼎湖・山岡米華ら20余名が日本南画会を結成し、香谷も参加した。 「香谷」の下に白文の「田叔印信」、朱文の「香谷」の下駄判の落款印が押されている。 推奨サイト http://www.shogaya.com/html/murata-koukoku91.htm http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=mu&s=40 |
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