藤澤 南岳 ふじさわ なんがく
   

擬将清操托風流
不弄群芳事匹儔
借問甘棠花一樹
千年能有此香不
菅公遺愛楳
将に清操(=清廉潔白な節操)を擬(はか)って 風流を托す
群芳(=多くの花・美人・賢人)を弄ばず 匹儔(=仲間)を事とする
借問(=ちょっとたずねてみる)甘棠 花一樹
千年能く有り 此の香に不らず
  菅公遺愛の楳(=梅)
甘棠之恵=周の召公が善政をしいたので、召公が木の下で休んだその甘棠の木を人民が大切にしたという故事から、りっぱな政治を行う人に対する敬愛の情をいう。(『詩経』召南・甘棠)
菅公=菅原道真の敬称。
138.5p×33p

天保13年(1842)生〜大正10年(1921)歿  
 讃岐(現在の香川県)の儒者藤澤東畡の子。南岳は明治維新直前に朝敵と目された高松藩の藩論を佐幕から勤王に転換させるなど、政治の舞台で活躍した高名な儒学者。
 泊園書院で商家の子弟の教育に専念、地域の名士として多大な尊敬を集めた。泊園書院は文政8年(1825)に父の東畡が大阪の淡路町で徂徠学を講じるために開かれた私塾で、藤澤南岳、藤澤黄坡先生と四代にわたり大阪の町人・市民の文化と教養を高めるために営まれた漢学塾。昭和26年3月、藤澤黄坡の子の藤澤桓夫(小説家)が泊園書院の蔵書約二万余冊を関西大学に寄贈し、東西学術研究所が設立された。
 また、旧幕時代、高松松平藩の藩学校に、その昔栃木の足利学校にあった小野篁作の孔子の木像が祀られていた。明治維新で藩校が廃止され、聖廟は破毀、聖像もまた散逸の運命にあったのを、南岳が明治6年に払い下げを受け、藤澤の私塾泊園書院に安置し、そこで釈奠(孔子及び顔回以下の十哲を祀る儀式)を行っていたという。
 彼は「通天閣」だけでなく、紅葉で有名な小豆島の「寒霞溪」などの名付け親であり、熱田神社の社号標石(大正8年4月)も南岳の書である。
 引首印は朱文の「問自在」、「南岳」の下に、白文の「藤澤恒印」、朱文の「君成」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.tsutenkaku.co.jp/shiryo/data.html
http://www.yamaguchi-bijutukurabu.com/nangaku.htm
http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-86.html
http://www.geocities.jp/jingudo315/w2.html


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