江 芸閣 こううんかく
   

雲近蟾光生異彩
江涵秋影上青天
乙亥冬日書
雲近の蟾光 異彩を生じ
江涵の秋影 青天に上る
  乙亥=頼山陽との事柄などから1815年と推定される。
29.5p×62p

生没年不詳
制作年 文化12年(1815)
 江戸後期に長崎来舶の清国の文人。1818年、頼山陽が長崎へ赴いた際、面会を望んだが、江芸閣の船の入港が遅れて果たせなかった。江芸閣の寵妓、引田屋の袖咲を花月に呼び詩書の言伝を依頼したとある。花魁、袖笑の肖像画には江芸閣の賛がある。
 また、文政8年(1825)に完成した『芸藩通志』『尾道志稿』に、当時の文化人たちの憧れの的だった玉藹のコレクションの古鏡題詠詩が載せられ、頼杏坪の長篇古詩とともに江芸閣が名を連ねている。
 長崎は江戸時代を通じて最新の学問・芸術が真っ先にもたらされる文化の発信地であった。書道では江戸初期、中国人黄檗僧の亡命による明朝書道の流入、明人ユ立徳に学んだ北島雪山による唐様書道の確立に始まり、一流をめざす書家たちは挙って長崎へ遊学した。梧竹が師事した市河米庵は長崎で清人胡兆新に学び、同じく山内香雪は江芸閣に書法を問うたという。
 東京国立博物館東洋館に2005/3/29〜2005/5/29まで、「行草書七言律詩扇面」が陳列され注目をあつめた。
 「芸閣」の下に、天地逆に白文の「唐上林國江南節度使三十二世孫」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=x&s=900
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