八田 知紀 はった とものり
   

容師能耶馬 加壽微乃於久花
志羅年登母 見由流可宜理
盤 左九良那李遣里 知紀
よしのやま かすみのおくは  (吉野山 霞の奥は)
しらねども みゆるかぎり   (知らねども 見ゆる限り)
は さくらなりけり      (は 桜なりけり)
115p×26.8p

寛政11年7月15日(新暦1799年8月15日)生〜明治6(1873)年9月2日歿
 幕末・維新の鹿児島藩士・歌人。薩摩国鹿児島郡西田村(鹿児島市西田)に生まれる。幼名は彦太郎、通称は喜左衛門、号は桃岡。文政8年(1825) 薩摩藩の京都留守居下役となり上洛し、国学に志し、和歌を香川景樹に学び桂園派歌人として名をなした。
 明治5年、宮内庁に出仕して歌道御用掛を務めた。
 弟子に高崎正風がおり、景樹―知紀―正風と、『古今集』の歌風が引き継がれた。

推奨サイト
http://www.pref.kagoshima.jp/kentosho/shiryo/kityou-540.html
http://fine-vn.com/cat_38/ent_80.html
http://tois.nichibun.ac.jp/hsis/heian-jinbutsushi/Tanzaku/653/info.html


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