伝藤原為相
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見ぬ世の友 |
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見ぬ世の友 85 伝 藤原為相筆 結城切(勅判切) 打曇紙本墨書 30.0×26.3 鎌倉
何の歌合か判らぬが、その中の一七番・落葉を題とする左右の歌と判詞をおさめる断簡。結城切という名は、もと結城某氏の所蔵ということによるのであろうか。古筆家の極では、本文は為相(1263―1328)の筆跡、判詞は後伏見天皇(1288―1336)の震翰というので、古くは勅判切といった。この断簡はちょうど為相の名入の部分である。もとは巻子本。料紙は藍の雲紙で、和歌一首二行書き。文字は力強さ・スケールの大きさに欠けるが、柔らかく流麗に筆が運び、紙面全体に大きやかに布置されている。先にふれたように、筆者を為相、判詞は後伏見院廣翰と伝えているが、何ら確証あるものではなく、それにこの二つはまったくの同筆である。鎌倉中期ごろの作。おそらく、和歌のテキストとして、調度品として書かれたものであろう。
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藻塩草 |
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藻塩草 表109 拾遺和歌集巻第六断簡(相模切) 伝冷泉為相筆 著色下絵斐紙墨書 23.9×14.2 鎌倉時代
『増補古筆名葉集」の冷泉為相(1263―1328)の条に「相模切、四半、拾遺、哥二行書、金銀緑青草小鳥ノ下画アリ」とある。これは拾遺和歌集巻第六別歌の断簡で、冷泉為相筆古今和歌集(嘉禄2年本)である。その筆蹟特徴から全く同筆と考えられ、また伝冷泉為相筆続後撰和歌集とも、同筆と認められる。もとは四半の綴葉装、楮まじりの雁皮質の料紙に、藍、緑青、榿、銀泥などで葦手の文様が美しく下絵してあり、葦手の文字が、その水草の下に書きそえてある。一面八行書、和歌一首二行書。書風、料紙より鎌倉時代末期のものと考えられる。
*歌頭に「古今」とあるのは集付で、この歌が『古今和歌集』巻第十七雑歌上の入集歌であることを意味する。なお、解説に「これは、冷泉為相筆古今和歌集(嘉禄二年本)である」とあるのは明らかに誤認である。
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翰墨城 |
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翰墨城 115 伝冷泉為相 古今集切
『古今和歌集』巻第十九・雑体の断簡。素紙に、やや側筆ぎみに強い筆線を続ける。中央の折り目は、もと冊子本であったことを物語っている。父の為家から譲られた播磨細川荘に関して異母兄の為氏・為教と紛争を起こし、訴訟のために鎌倉に下るが、そのときの母の旅行記が『十六夜日記』。これを契機に為相は東国歌壇とつながりをもち、鎌倉連歌の発達に貢献した。為相筆と伝える古筆切は、ほかに「愛宕切」「相模切」「勅判切」など数多くあるが、いずれも確証はない。鎌倉中期の書写。
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翰墨城 |
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翰墨城 116 伝冷泉為相 新勅撰集切
金銀の砂子を雲の形、霞引きに撒き、金銀の大切箔を散らす。さらに、土坡・葦・草の下絵を描いた華やかな料紙。明らかにそれらの図様を意識した書きぶりで、和歌を散らし書きにする。歌は『新勅撰和歌集』巻第十一の在原業平の歌だが、もともと一巻の歌集を完写したものではない。美しい料紙の巻物を、調製し、それにふさわしい和歌を思うままに選び、散らし書きにした、調度手本のようなものではなかったろうか。筆者は冷泉為相というが、むろん確証はない。書風や料紙の装飾技巧などから推して、鎌倉中期の書写。
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翰墨城 |
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翰墨城 117 伝冷泉為相 新古今集切
升型の素紙に和歌一首を散らして書いているが、これはもと巻子本を、こうした色紙形に切断したものと思われる。「新古今集切」は『新古今和歌集』巻第十七・雑歌中の西行の詠歌で、上の句と下の句を階段状に、それぞれ書き出しを肉太に墨濃く書き、しだいに細い線で引き締めた実に流麗な連綿の美をみせている。その構成はまことに意匠的であり、調度本として鑑賞用に揮毫されたものであることは疑いない。さて、この断簡の筆者を冷泉為相というが、その信愚性はまことに希薄。これも、法性寺流の名手為相の書と想定するにふさわしいみごとな筆致を展開している。
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翰墨城 |
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翰墨城 118 伝冷泉為相 家集切
これはいかなる和歌集の断簡であるかは未詳。ただし、第一首下の句は「野」の歌題で、第三首「道」、第四首「波」題の和歌はそれぞれ、『新古今和歌集』巻第十八・雑歌下に菅贈太政大臣の詠歌として収録されている。この第二首「田」題の和歌は不明だが、あるいはこれは『新古今和歌集』の異本であるかもしれない。雲母刷りによって細かな梅花文を一面にあしらった美麗な料紙に、行間を整え、やや謹直に筆を運んでいるが、その料紙の華やかさを考え合わせると、調度本として揮毫されたものではなかったろうか。もとは巻子本か。筆者と伝える為相は、鎌倉連歌の発達に貢献し、書は法性寺流をよくした。この料紙の歌切は『古筆名葉集』にも見当たらぬ珍稀なもの。為相の真筆とはにわかに断じがたい。
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