伝伏見天皇
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藻塩草
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藻塩草 表18 篠村切 〔漢詩断簡〕 伝伏見院(天皇)筆 打曇斐紙墨書 31.5×11.3 鎌倉時代
『古筆名葉集』の伏見院(1265−1317)の条に「詩哥」とのみあり、『増補古筆名葉集』に「篠村切、雲帋巻物、往来物」とある。これは詩か駐文かどちらか明らかでない。何か往来物の一節かもしれない。この書と伏見天皇宸翰御願文(京都国立博物館蔵)などと比較すると、その筆蹟特徴は共通しており、伏見天皇衰翰との伝称通り宸筆と認めてよいものと考えられる。 もとは巻子本、その豊潤流麗な書風には見るべきものがある。
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見ぬ世の友 |

藻塩草 |

翰墨城 |
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見ぬ世の友 15 伏見天皇宸翰 筑後切 打曇紙本墨書 27.7×20.0 鎌倉
「拾遺和歌集」巻第一八・雑、賀の断簡で、もとは巻子本。この料紙は藍の雲紙で、和歌一首三行書きのかなり大きな書きぶりである。字形はあくまでも整斉で懐が広く、よく洗練された筆致を誇っている。天皇30歳頃の宸筆と思われる。
伏見天皇(1265−1317)は、歌を能くし、書芸に長じ、ことに能書として著名であった。現存する作晶には法華経や書状があり、御製の和歌を書かれた20の広沢切もある。広沢切と筑後切とは書の趣が異なるが、広沢切は草稿の走り書き、筑後切はあらたまった場の書ということで、ともに真の宸翰と考えられている。
藻塩草 表19 筑後切 後撰和歌集巻第十六断簡 伝伏見院(天皇)筆 打曇斐紙墨書 27.0×16.1 鎌倉時代
『古筆名葉集』の伏見院(1265−1317)の条に「雲帋巻物切、後撰集」とあり、『増補古筆名葉集』には「筑後切、雲帋巻物、後撰拾遣ノ哥三行或ハチラシ、金銀砂子帋モアリ」とある。後撰和歌集巻第十六雑歌二の断簡である。もとは巻子本、文字の線条は流暢で美しい。伏見天皇宸翰の誉田八幡宮蔵後撰和歌集と比較し、その筆蹟特徴から全く同筆と認められる。
翰墨城 20 伏見天皇 筑後切
紫の打曇紙に『後撰和歌集』巻第六・秋中を書写した巻子本の断簡。もとは、二十巻一セットとして存在したはず。ほかに、『古今和歌集』や『拾遺和歌集』があるので、もともと六十巻を完写したものではなかったか。この切には中央部分に折り目があるが、このことから、一時折本に改装されていたことが想像される。藤原行成を根幹にした端麗な仮名が、大振りに伸びやかに書かれている。変転自在な線は、非常に若々しい。「筑後切」は、大阪・譽田八幡宮に、『後撰和歌集巻第廿』の一巻を完存する。その巻末には「永仁二年(1294)十一月五日書詑」とあり、伏見天皇三十歳の筆と知る。
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見ぬ世の友 |
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翰墨城 |
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見ぬ世の友 16 伝伏見天皇宸翰 堀川切 紙本墨書 27.1×12.5 平安〜鎌倉
「古今和歌集」巻第一・春歌上の断簡。内容からして、清輔本古今集の写本と考えられる。白斐紙に一面五行に書かれ、もとは冊子本であったろう。書は整斉な字形で、運筆は軽快であるが、線質は細く弱く単調であり、変化に乏しい。
伏見天皇の宸筆と伝えるが、現存する他の宸翰に比し、明らかに別筆である。
翰墨城 20 伝伏見天皇 堀川切
これは『古今和歌集』巻第十二・恋歌二に収録される、紀友則の和歌・第五六一番の断簡である。手鑑「見ぬ世の友」などに類品があり、その内容からして、「清輔本古今和歌集」が、紀貫之自筆本を書写した藤原通宗の写本と考えられている。歌は一首二行書き。雁皮質の素紙に整然と書かれており、筆は軽快に走っているが、線質は細く、いささか弱々しいきらいがある。また、随所に、古様の草仮名を用いている。付箋に示されたように、古筆家は古来、この断簡の筆者を伏見天皇と鑑定しているが、現存する他の仮名作品と比べると、別筆であることは明らかである。十三、四世紀のころに書写されたものであろう。これは『古筆名葉集』伏見院の条の「巻物切、古今哥二行、佐理卿ウツシ」に該当するが、古様の草仮名を多く用いているのが眼をひき、佐理卿の写しといわれたゆえんであろう。「見ぬ世の友」の極札に従い、この種の断簡は今日、「堀川切」と呼ばれている。
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藻塩草 |
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見ぬ世の友 20 伏見天皇宸翰 広沢切 紙本墨書 31.1×7.6 鎌倉
この広沢切は、古筆家の鑑定以来、後伏見天皇の宸筆として世に珍重されてきた。しかし、広沢切の歌が、「玉葉集」・「風雅集」などの勅撰集に伏見天皇の御製として載せてあり、今日では伏見天皇の御製御筆と考えられている。筑後切などの書風とは異なるが、それは忽卒の間に宸筆を走らせられたことによるものであろう。本来豊潤な趣をもつ書のように感ぜられ、遅渋のあとなく、やや側筆で軽快に書かれている。能書家伏見天皇の面目を十分に発揮したものといえよう。
伏見天皇(1265−1317)は和歌を京極為兼に学ばれ、歴代天皇の中でも歌聖というべき独自の歌風を樹立した方で、「玉葉和歌集」を撰進せしめられた。
藻塩草 表20 広沢切 〔歌集断簡〕 伝後伏見院(天皇)筆 斐紙墨書 31.4×9.2 鎌倉時代
『増補古筆名葉集」の後伏見院(1288−1336)の条に「広沢切、杉原帋巻物、父王ノ御哥二行書」とある。この断簡の和歌は後伏見天皇の御製集には収められていない。「広沢切」は伏見天皇の筆として、国宝、重要文化財などの指定がおこなわれている。したがってこれもその指定に従うべきであろうが、なお検討の余地があるので、ここではしばらく伝後伏見天皇宸翰との伝称にとどめたい。
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見ぬ世の友 17 伝伏見天皇宸翰 高倉切 金銀切箔砂子散紙本墨書 28.9×6.3 鎌倉
「妙法蓮華経」巻第三授学無学人記品第九の断簡。謹んだ整斉の書ではあるが、点画は細く弱く、字形は扁平になりやすく、力感に乏しい。和様写経も鎌倉期になると、こうした調子になったのであろう。
筆者を伏見天皇と伝えるが、宸翰とは認められない。
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翰墨城 18 伏見天皇 篠村切
『古筆名葉集』の伏見院(1265−1317)の条に「詩歌」とのみあり、『増補古筆名葉集』には「篠村切、雲番巻物往来物」とある。ところで、この断簡の文句からは、これが詩か文章の一部かなお明らかでなく、往来物の一部のようであり、調度手本として書かれたものらしい。この書と他の伏見天皇宸翰と比較するとその筆跡の特徴は酷似しており、伝称どおり、伏見天皇の宸筆として認めてよいものと思われる。もとは巻子本。雁皮質の打曇料紙は紫、一行六字程度の行書であるが、天地は手鑑の編集上、切断され短くなっているようである。みられるように豊潤流麗な書風は、わずかな字数ながらみるべきものがある。
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翰墨城 19 伝伏見天皇 和漢朗詠集切
藍色の雲形を天地に配した鳥の子紙に、七言の対句を大きく、四行に書いたもの。この二句は『和漢朗詠集』巻下・将軍に、唐の詩人羅虬の作として収録されており、もと巻子本であったものを、こうした色紙形に切断されたものと思われる。断簡ゆえに、むろん署名はない。伏見天皇は後深草天皇の第二皇子。和歌を京極為兼(1254−1332)に学び、歴代中でも歌聖と称されるほど独自の歌風を残した。が、また書画論に詳しく、能書として令名を謳われてもいる。その書風は伏見院流の名で後世に永く伝えられている。この書は文字がやや右に傾き、線に絞りが効かぬが、優麗な趣の深い点は伏見天皇の宸筆「置文」や「願文」の書風に相通うものがあるように見受けられる。
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翰墨城 21 伏見天皇 書状断簡
「五明」は、扇の異称。この手紙は、扇十本を贈ったことを告げるだけのきわめて短いものである。伏見天皇の花押は、伝小野道風筆、「秋萩帖」の紙背などに書かれているが、この手紙の花押はそれと同一で、天皇の宸筆に紛れもない。豊麗な筆致が、歴朝屈指の能書帝の面目を遺憾なく伝えている。
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