220年〜265年
五銖銅銭 ☆ 魏 直径2.5p |
「正始二年造」銅弩機 ☆ 魏 長さ11.9p |
陶耳杯 ☆ 魏 長さ11p | ||
これは矢を射る兵器「弩」の部品です。241年に作られたものです。 | 山東省東阿県にある曹植の墓から出土しました。 |
「直百五銖」銅銭 ☆ 蜀 直径2.6〜2.8p |
簸箕をもった陶俑 ☆ 蜀 高さ54p 四川省忠県出土 |
陶院落 ☆ 呉 長さ54p 幅44p 1967年湖北省鄂州市出土 | ||
当時の建築を模倣して作ったもので、庭の中に表座敷、母屋、両脇の建物があります。庭の塀に、正門と裏門があり、正門の上には門楼が築かれ、塀の四隅には角屋が一軒ずつあります。門楼と角屋は庭を守るためのものです。 庭の主は呉国の皇族、武昌督の孫述かと言われています。 |
青磁灯 ☆ 呉 高さ11.5p 1958年江蘇省南京市出土 |
永安五年の神獣紋銅鏡 ☆ 呉 直径12p | |
青磁釉に鉄が少量含まれていますが、それは主な着色剤で、高温で焼いた後、器の面は灰色がかった緑色または黄色がかった緑色を呈します。この磁陶の中段には小熊が頭をかかえている形に作られ、灯盤の重さに耐えられない様子で、子供のような無邪気さがあります。 | 銅鏡の裏側に、神人と奇獣の装飾があります。 |
「三体石経」残石 魏・正始2年(241) 1922年河南省洛陽市出土 「三体石経」は、「熹平石経」に次ぐもので、同様に洛陽の太学の門前に立て並べられました。1碑は192×96pで、各碑とも表と裏に約4000字を刻し、計28石あったと推定されます。碑石はその後、戦乱や移動のたびに数が少なくなり、唐の初めにはほとんど残っていなかったようです。残石が出土しはじめたのは清末ごろですが、完全な形の碑は一つもありません。 三体の配列は、長方形の枠内に、古文-小篆-八分の順で縦に刻入しています。この方式を"直下式"とか、"蝉連式"と呼んでいます。これとは別の方式に"品字式"があります。 書としては、各体とも様式固定化の著しい書風です。書としては従来小篆がいちばん評価されてきましたが、現在は古文の史料性が注目されています。 |
☆は『中国通史陳列』より転載