BC475年〜BC221年
錯金銀馬首形銅轅飾 ☆ 魏 河南省輝県固囲村出土 高さ8.8p 長さ13.7p |
令狐君嗣子壺 ☆ 韓 高さ46.5p |
朱絵獣耳陶壺 ☆ 燕 北京市昌平村出土 高さ70.2p | ||
この轅飾は戦国の金銀を象眼した器の典型的な代表作の一つです。 | この壺の首に23行、50字の銘文があり、その内容は令狐君の嫡子が壺を鋳造したことをたたえるものです。 |
人形銅灯 ☆ 斉 1957年山東省諸城県出土 高さ21.3p 盤径11.5p |
楚王熊悍鼎 ☆ 楚 1933年安徽省寿県朱家集出土 高さ55.6p |
錯銀銅臥牛 ☆ 楚 1956年安徽省寿県出土 長さ10p | ||
この銅灯は全体として一人が両手で灯を捧げ持つ形をしており、人の足の下にわたかまった龍があり、盤の下にほぞ穴があり、そこに柄を挿し込み、取り外すことができます。 | 銘文の記載によると、この鼎は楚の幽王・熊悍が鋳造したものです。 | 銅牛の腹部の下に銘文が彫ってあり、王室の器であることを明示しています。 |
武士闘獣紋銅鏡 ☆ 秦 1975年湖北省雲夢県睡虎地出土 直径10.4p |
四年呂不韋銅戈 ☆ 秦 1957年湖南省長沙市出土 長さ21p |
鉄双鎌範 ☆ 燕 河北省興隆県古洞溝出土 長さ32p 幅11.3p | ||
この銅戈の内に銘文が彫ってあり、呂不韋が使ったものであることを明示しています。 | 範の鎌の柄に近いところに、職人の名前の「右廩」の2字があります。 |
銅氷鑒 ☆ 曾 1977年湖北省随県出土 |
錯銀鄂君啓節 楚 1956年安徽省寿県丘家花園出土 | |
長さと幅はともに76p、高さは63.2p。銅氷鑒は全体として、四角い鑒の中に四角い壺を入れる形式をとっており、壺の中に酒を入れ、鑒の中に氷を入れて、酒を冷やすことができます。 | 符節は、竹や木の札にしるしの文字を書いて、2つに割り、それぞれ一方を所持して証拠とするもので、日本では「割り符」です。軍用に使われることが多いようです。 鄂君啓節は青銅製で、竹を模しています。しかもこれほど長文のものは他に例を見ません。楚の王族で鄂君の啓という人物が王から交付されたもので、鄂君が物資を輸送する際、この節に書かれた経由地の関所を免税で通行することを許可しています。右側が舟節(水路割符)、左側が車(陸路割符)です。 文首に「大司馬の昭陽が晋の師(軍)を襄陲に敗った歳」とありますが、これが『史記』楚世家にいう楚の懐王6年の襄陽の戦(前323)に合致することから、年代の確実な資料として評価されています。 |
☆は『中国通史陳列』より転載