春秋 -1

BC770年〜BC476年

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鎛(斉子中姜鎛)
1870年山西省栄河県後土祠出土
高さ66p 口の長さ44p
口の幅34.8p

 この器に173字の銘文があり、の祖父、鮑叔が斉のために功績を立て、斉侯はに土地と人民を賜り、はこれをもって自分を勉励し、この鎛を鋳造して亡き母の仲姜を祭ったことを記述しています。
 斉国関係の金文にはこのスタイルが多く見られます。横画と縦画を直線的に書き、直角に組み立て、正面を向いて直立しているような文字です。曲線を用いるときは、文字の脚部での湾曲が大きくなる傾向が見られます。全体に文字の脚部が長くなっていますが、この傾向は他国でも一般的に見られます。


洹子孟姜壺
高さ22.1p 口径13.4p

 この銅壺の首の内壁に142字の銘文があり、田洹子の父の死語、斉侯が周王の許しを得て、死者のためにいろいろな式典を執り行ったことを記述しています。


王子午鼎
1979年河南省淅川県下寺2号墓出土
高さ67p 口径66p

 作者の王子午は覇主・楚の荘王の子です。これは、文中に子庚とも書かれています。これは『左伝』に襄公12年「楚の司馬・子庚、秦に聘さる」とあり、その杜預の注に「子庚は楚の王子の午なり」とある人物と一致すると考証されています。
 文の内容は、午がこの鼎を作って祖先を祭ること、それによって長寿と幸福を授けられ、子孫まで長く栄えることを願っています。
 書体は、楚の金文中の鳥虫書に属します。著しく装飾化されたもので、曲線を多用し繊細で、華やかで工芸的な美しさがありますが、装飾過剰で奇怪に感じます。
 この書風は、楚の地から出土した木棺や容器に描かれている漆画によくにています。また、越王の刀剣に近いものがありますが、これには鳥を描いた部分はありません。


秦公簋
1924年甘粛省天水県出土     高さ19.8p 口径18p
 銘文は、蓋の10行から器身の5行につながって一文となっています。12代にわたる祖先の功徳を述べ、政権が永く強固に続くことを願っています。その主語が秦公です。文字は《石鼓文》に類似していると指摘されています。たしかに、ほとんどの字形上差異のない字があります。
 また、この銘は、一字ずつ型を用いて作っているようです。この方法は他国の銘では極めて稀なことですので、秦国で発達していた技法かも知れません。


呉王光の鑒
1955年安徽省寿県蔡侯墓出土
高さ35p 口径57p

 銅鑒の内壁に52字の銘文があり、呉王光(闔閭)が娘(叔姫)を蔡侯に嫁がせるにあたって作った媵器(嫁入りに際して作られた器)です。
 この銘に見える「蔡侯」とは、蔡の昭侯、あるいは成侯と推定されています。
 この字形は極端に縦長で、長脚体です。
呉王夫差の剣
1976年河南省輝県出土
長さ59.1p 剣の幅5p

 この剣は呉王夫差の使用したものです。鐔の近くに篆書の10字の銘文があります。
 このような剣は、春秋時代、それも呉や越で工芸的に優れたものが作られ、王の権威を象徴するような意味で使われたようです。
 その銘文には、南方の越・呉・楚・蔡などの国々では、鳥篆・鳥書あるいは鳥虫書と言われる装飾体が用いられました。とくに越の兵器には鳥篆のものが多くあります。一方、呉では均斉の取れた正体が多く、楚は半々です。

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