商(殷) -1

ほぼ前16世紀〜前11世紀

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鄭州商代遺跡略図

安陽殷墟遺跡分布略図

武官村大墓(写真)
 1952年河南省鄭州市で発見された商代遺跡で、面積は25平方キロ、遺跡の中央に商代初期の城址があります。平面は長方形をなし、城壁の長さは6960メートルあります。  殷墟は商王盤庚以降の商代後期の国都で、現在の河南省安陽市の北西にあります。総面積は24平方キロ。中国ではこれよりあとを殷と呼んでいます。  奴隷主貴族の「中」字形の墓で、安陽殷墟で発掘された中で最大規模です。殉葬者の数は79人の多きに達し、他に馬28頭・猿3頭・鹿1頭・その他の動物15が埋められていました。

鄭州商城遺跡(写真)

小屯商代宮殿遺跡(写真)
 上図の商城遺跡は、安陽諸遺跡に先行します。城壁は黄土を用いた版築によって築かれています。その造営の年代は、おおよそ前1620年前後と考えられています。  1973年に発見され、大量の甲骨卜辞が出土しました。これにより、武丁の時代(前13世紀後期)から帝辛の時代(11世紀中葉)の遺跡であることが判明しました。



獣面鉞

銅鉞 
1965年山東省益都市蘇埠屯出土  長さ31.7p 幅35.8p

銅鏡
1976年河南省安陽市殷墟出土
 この銅鉞は儀仗用の巨大な兵器です。二つの耳の下にそれぞれ「亜醜」の二字が鋳ってあります。



"馬永"銅盉
河南省安陽市出土
内底に「馬永」2字の銘文があります。

鬲範
1954年河南省鄭州市南関外出土
銅器鋳造用の陶範で、長さ23p、幅24p。



乳釘紋銅簋

刀範
刀器鋳造用の陶範。


司母戊鼎
1939年河南省安陽市武官村出土
高さ133p 口の長さ 110p
口の幅 79p 重さ832.84kg。

 いままで中国で発見された中で最も重い古代青銅器です武官村西北崗の王陵地域で盗掘によって発見されました。しかし、あまりにも大きくて重いため、掘り出しきれず、1946年に再発掘して南京博物館に納められました。現在はここ中国歴史博物館にあります。
 銘文は「司母戊(シボボ)」と読むのが一般的ですが、解釈はいろいろあって確定していません。「戊」は廟号かと思われます。「司」については、これを女性の姓と見る説、「祠」(まつる)と見る説などがあります。


偶方彝
 これは酒器で、器底中部に「婦好」の二字が刻されています。
 婦好は武丁の妻です。この婦好墓は、今までに調査された商王朝の王族墓で、盗掘されていない最初のもので、副葬品が最も豊富でした。その数は1928点にも達しました。
 とくに重要なのは、大変多くの器に銘文があったことです。これにより、甲骨文と歴史の文献とに関連づけることができました。

☆は『中国通史陳列』より転載

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