しょう・げんし | 同治8年(1869)生〜歿年不明 製作年 1948年(80歳) |
|
字は笙伯。浙江省嵊県の人。少壮年期に法律を学び、光緒30年江西省の湖口知県となり、後、江蘇省湖北の知県となった。民国になってから上海に居して、書画の道に入り、売画の生活を送った。 扇子を開かずとも彼と解る独特のタッチ・色調の花鳥をもって知られる。 |
しょう・たいあん | 同治2年(1863)生〜歿年不明 製作年 不明 |
本名は蛻、字は退闇、寒蝉と号した。江蘇省常熟の人。書法に工で、篆刻を善くした。酒を好み、また禅を好んだ。石鼓文の臨書で名が高く、呉昌碩と比較して、柔潤優美であり、弟子にケ散木がいる。 著書に『文字探源』『小学百問』『書道八法』『文字学浅説』等があり、書論は多く題跋に見られる。 |