汪亜塵・童大年

汪亜塵 おう・あじん 光緒19年(1893)生〜歿年調査中
製作年  不明
 浙江省杭県の人。国画・西洋画・書に秀で、国民党とともに台湾に転居し、金魚の汪亜塵として名を馳せた。14歳にして山水を描き、春聯を書した。民国4年(1915)日本に留学し、民国9年(1920)東京美術学校を卒業後、東方画会を創設し、上海美専教授・教務主任を勤めた。また、時事新報学燈芸術を主編し、当時の芸壇の有力者となった。
 民国17年(1928)より3年に渡りヨーロッパに赴き、各国の芸術教育を考察し、併せて西方古代美術を研究した。帰国後、新華芸術師範学校を創設し、洋画教授となった。
 著に『芸術論文集』『美術教科書』『亜塵油画集』『汪亜塵図画集』等がある。

   
童大年 どう・たいねん 同治12年(1873)生〜歿年調査中
製作年  1945年(73歳)
 字は心盦、幼来・性涵・醒庵などと号した。江蘇省崇明の人。書・篆刻に秀でた。西泠印社の社員。呉昌石と好友した。その篆刻の刀法は、呉昌石が破刀法であるのに対し、大年の刀は工細工整の路を走った。また、その書は、線は点の連続であるとし、力強く律動的である。
童大年について指導を受けた際の陶寿伯先生直筆のメモ


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