船形彩陶壷

仰韶文化 1958年陝西省宝鶏市北首嶺出土
H15.6p×W24.8p

北首嶺下層文化(B.C.5150〜B.C.5020)で、老官台文化晩期から仰韶文化早期(半坡類型)の過度期の文化の彩陶土器で、水筒のようにも見える。

 彩陶土器は新石器時代に現れた花模様が施された彩色土器。バラエティに富んだ形、重厚で意匠を凝らした図案などが見られ、発見された最古のものは、老官台文化遺跡で出土した約8000年前の土器とされている。
 彩陶と絵付けはよく混同されるが、実際にはまったく別のものである。絵付けは焼成された土器の表面に上絵を描いていくもので、この製造法では図柄が落ちやすい。それに比して彩陶は陶器の半製品に図案を施し再び窯で焼くもので、この製造法では絵が陶器の表面にしっかりと焼き着けられるので、模様が剥落することはない。絵付けの初期の陶器は新石器時代から秦・漢時期にその最盛期を迎えるが、彩陶土器は厳密には新石器時代に作られたものに限られる。
 彩陶土器の模様には主に赤褐色・黒色・白色が用いられている。考古学者の分析では、赤褐色の顔料は鉄分を含んだ赭石、黒色は鉄の含有量が高い赤土、白色は溶剤で溶かされた白色の陶土であるという。
一般に彩陶の模様は土器の表面に描かれるが、一部のものは内側に模様が施されている。彩陶の模様は製造年代と地域によって特徴が異なる。早期には帯状の縞や線がその主流で、時代とともに日・月・星、花・鳥・魚・虫など複雑でデザイン化されたものに変化していく。いづれにしても日常生活に密着したものを描いたと思われる。最晩年のものには象形文字や数字なども見られるが、これは人類文明が新しい段階に入ったことを示すものである。
 造形の上では、初期のものは碗、鉢、罐などの器物が多く作られており、その形はいびつで画一性は見られない。中期には鼎や盆、尖底甕、酒気など種類も豊富になり、形も洗練されてくるが、その半面実用性が薄れデザイン的要素が高くなる。後期に至ると実用性は失われ、装飾的なものが殆どになる。彩陶土器は、芸術的完成度が極限まで達すると同時に衰退期に入り、やがて人類の生活から姿を消すのである。 (http://abc0120.net/words/abc2007030104.html より抜粋)



参考文献一覧      HOME