甲 骨 文

(B.C.14世紀〜B.C.11世紀)
W15.0p×H24.0p

 亀甲や獣骨などを用いて、主として吉凶や可否を占い、その占卜の記録を刻した文字・文章をいいます。亀甲や獣骨を用いて占うことは、中国においては新石器時代の斉家文化(B.C.2000前後 甘粛省・青海省)の大何庄遺跡から出土した羊の肩胛骨で焼いた跡がある卜骨や、皇娘娘台遺跡から出土した牛胛卜骨・羊胛卜骨・猪胛卜骨などに見られます。
 骨片に文字・符号を彫りつけたものは、陝西龍山文化(B.C.2300〜B.C.2000)の西安客省庄遺跡花園村から出土しました。また、河南省鄭州の殷代中期遺跡からは殷代甲骨文が出土しています。
 多量に発見されたのは、殷末期の殷墟 (河南省安陽)からで、その数は十万片に達します。殷墟の甲骨文が公刊されたのは、一九〇三年、王懿榮(1845−1900)の幕客だった劉鶚(1857〜1909)の編による『鉄雲蔵亀』がはじめてです。その後、羅振玉・王国維(1877〜1927)・郭沫若(1892〜1978)・董作賓らによって、発掘、研究が進められ、その結果、殷王朝の実体が明らかになりました。
 文字資料としても貴重で、現存する各種の文字のなかで、体系的な文章表現が可能なものとしては最古のもので、漢字のもっとも古い状態を伝えています。


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