芳川 顕正 よしかわ あきまさ
   

霜樹秋深馬首風
飄飄吹黙満身紅
奈知家在千山外
衣錦揚々入越中
霜樹 秋深し 馬首の風
飄々として黙と吹き 満身 紅なり
(いかんぞ)知らん 家 在り千山の外
衣錦揚々 越中に入る
  衣錦還郷=故郷に錦を飾る
148.2p×39.5p

天保12年12月10日(新暦 1842年1月21日)生〜大正9年(1920)1月10日歿
 医師原田民部の4男として阿波の国(徳島県)麻植郡川田村に生まれる。18歳で史・漢・三国史を学び、その後文久元年(1861)医師高橋文昨の長女と結婚、養子となり長崎に遊学、長崎で医学の塾頭をしながら英学を学んだ後に徳島に帰って士籍に取りたてられた。その後藩主、蜂須賀斉裕の命で再び長崎に官費生として戻る。明治元年(1868)、藩からの召還を拒んで鹿児島に行き、医者をやめ海軍で翻訳に携わり姓も芳川と改めて「越山」と号した。
 維新後、上京して伊藤博文の知遇を得て、大蔵省出仕、のちに国立銀行の設立、金本位制の実施に功績があった。明治3年(1870)伊藤博文に従い渡米。イギリスにも渡って遊学。明治15年には内務小輔兼東京府知事就任。明治23年の文部大臣のときには教育勅語を発布した。その後、司法大臣、内務大臣、逓信大臣、国学院大学長などを歴任。
 その功績により子爵、後には伯爵を授かる。しかし大正6年3月7日娘「鎌子」の事件により内大臣を辞去。その後も枢密顧問官、皇典講究所長、国学院大学長などを務めた。
 「越山々人」の下に、白文の「芳川顕印」、朱文の「越山」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www006.upp.so-net.ne.jp/e_meijiishin/jinbutsu/yosikawaakimasa/yosikawaakimasa.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B3%E5%B7%9D%E9%A1%95%E6%AD%A3
http://plaza.rakuten.co.jp/nanako0112/2008
http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/yoshikawaakimasa.html
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http://www.citydo.com/prf/tokushima/area_chuo/kenbun/kanko/yoshinogawa006.html
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/i14/i14_b0011/index.html
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/i14/i14_a2174/index.html


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