海上 胤平 うみがみ たねひら
   

高きには うつりもゆかて 位山
ふもとの野邊に 鶯のなく
高きには うつりもゆかで 位山
ふもとの野辺に 鶯のなく
位山=岐阜県高山市にある山
142.5p×40.4p

文政12年12月30日(新暦 1830年1月24日)生〜大正5(1916)年3月29日歿
 明治時代の歌人。旧称は六郎正胤、号は椎園。下総国海上郡三川村(千葉県飯岡町)に、賢胤の3男として生まれる。若くして江戸に出て、剣道を山岡鉄舟・千葉周作に学び、北辰一刀流免許皆伝。さらに諸国に武者修行して奥義を極める。
 維新後、官吏となり、越後、山形を歴任したが、明治16年(1883)より歌道に専念。
 武者修行で諸国を巡る中、紀州藩に立ち寄った際に、国学所教授であった加納諸平に出会う。志した武者修行を終えたのちには、再び紀州和歌山に戻り、紀州藩剣道師範として仕えながら、諸平の下で国学を究めた。
 東京で椎木吟社を結成し、古今和歌集を理想とする桂園派の亜流的な当時の歌壇に万葉調を以て一方の論陣を張った。
民間歌人として評論を発表、五七調正格説などを主張した。門人数千に及ぶ。
 著書に『詠史百首評論』、『歌学歌範評論』、『新自讃家集評論』、『東京大家十四集評論』(1884)、『長歌改良論辯駁』、歌集に『椎園詠草』(1910)、『椎園家集』(1915)などがある。
 「胤平」の上に、朱文丸判の「椎園」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db2/kokugaku/umigami.001.html
http://fine-vn.com/cat_9/ent_46.html
http://kotobank.jp/word/%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E8%83%A4%E5%B9%B3
http://www.kanko.chuo.chiba.jp/kanko/1793/


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