堤 靜齋 つつみ せいさい
   

故國豈無松菊存
馬鞭悔我向中原
世波欲渡狐濡尾
學路不前羝觸藩
一萬重山勞遠目
二千餘里斷歸慮
回頭流水年之晩
遮莫梅花鎖篳門
故国豈(あに)無し 松菊存す
馬鞭 我を悔いて 中原に向う
世波 渡らんと欲して 狐(ひと)り尾を濡らす
学路 前(すす)まず 羝(てい)(まがき)に触れる
一万の重山 遠目を労し
二千の余里 帰慮を断つ
回頭(=回想)流水 年これ晩
遮莫(さもあればあれ) 梅花 篳門(=貧しい家の門)を鎖すを
   羝羊触藩=進退きわまることのたとえ。
       《故事》雄の羊が籬にふれて角をひっかけ、身動きができない。〔易経・大壮〕
22.2p×33.8p

文政10年2月4日(新暦 1827年3月1日)生〜明治25(1892)年11月13日歿
 本名は正勝、通称は十郎のち省三、字は威卿、静斎と号す。豊後(大分県)臼杵藩士堤 正巳の4男として、豊後に生まれる。
 病弱であり弘化年間に大分県日田 広瀬淡窓の咸宜園に学んだ。嘉永年間に入り江戸で安積艮斎に師事、また昌平黌に入る。以降、江戸で漢学塾を開いて講義をするようになり、人の推挙によって幕府直参となった。元治元年(1864)幕府徒目付となったが、将軍世子問題や幕末の朝幕の戦いに巻き込まれ、大坂に出陣し薩長軍と戦い敗北。江戸に帰り普請組となる。
 明治維新後、一時官途に就くが、旧幕臣のため志を得ず、退いた。明治11年(1878)「知新学舎」を開設し、傍ら著作に打ち込んだ。著書・詩集として、2人の少女が苦闘の末、狼を仕留めた話の記録を漢文で残した『二女斃狼』や、『皆山閣誌鈔』『日本蒙求』『農学路志留遍』『国史要略』『皇朝史鑑』などの通俗教科書類がある。
 「静斎堤勝」の下に、白文回文の「堤正勝印」、朱文の「威卿氏」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www17.ocn.ne.jp/~ya-na-ka/tsutsumiSeisai.htm
http://kambun.jp/writers/tsutsumi-seisai.htm
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777712
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1809.html


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