加藤 咄堂 かとう とつどう
   

一声一声又一声
不管人間白髪生
132.5p×33.8p

明治3年(1870)生〜昭和24年(1949)歿
 本名は加藤熊一郎。咄堂は号。丹波亀岡の武家に長男として生まれ、幼時は儒学を修める。英吉利法律学校で法学・英語を学ぶなか、築地本願寺の積徳教校(僧侶養成学校)で教える機会を得、翻訳・文筆業に携わったことから仏教ジャーナリズム・仏教界に縁を結び、大槻如電の門に入り、たちまち仏教の大要を理解する。洋学志向で仏教思想のふるわない時代、島田藩根・大内青巒らと交わり、仏教界は大衆向けの平易な解説で一躍仏教講演の第一人者となった。
 20代前半で当時の一流仏教新聞『明教新誌』主筆に迎えられ、のち『中外日報』主筆、曹洞宗大学(のちの駒澤大学)・東洋大学の教職につき、また教化団体連合会の理事として、内務大臣後藤新平らの信頼を得て、乱立状態にあった教化諸団体の糾合に尽力した。
 出版書籍は200点以上にのぼり、『碧巌録大講座』(15巻)・『修養大講座』(14巻)などがある。
 「咄堂」の下に、白文の「加藤熊印」、朱文の「咄堂」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.shoshi-shinsui.com/book-shiseikan.htm
http://aishoren.exblog.jp/9476454/
http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/kato1.htm
http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/kato2.htm
http://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%92%84%E5%A0%82
http://dare.jp/name/%E5%8A%A0%E8%97%A4+%E5%92%84%E5%A0%82


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