古賀 侗庵 こが とうあん
   

(翻手作雲覆手雨 紛紛軽薄何須数)
君不見管鮑貧時交
此道今人棄如土
杜甫 貧交行
 (手を翻せば雲と作り 手を覆せば雨となる 紛々たる軽薄 何ぞ数うるを須いん)
君見ずや 管鮑 貧時の交わりを
此の道 今人 棄つること土の如し

122p×28p
管鮑(管仲)と鮑叔は、共に春秋時代の斉の桓公の臣で、二人は非常に仲が良く、「管鮑の交わり」とは仲の良いことの代名詞。
(掌を上に向ければ雲となり、下に向ければ雨となるほど、人の心うつろいやすい、この紛々たる軽薄のはびこっているさまを。)
管仲と鮑叔の貧しいときから一生かわらぬ交情を続けたことを見給え。しかし、今の人はそんな友情など土のように棄ててしまった。
 この詩から「飜雲覆雨」という四字成句ができたという。人情の変わりやすいことのたとえとして使われる。因みに、いま日中辞典によると「翻雲覆雨」とは言葉や態度ががらりと変わること、様々な手段を巧みに弄すること、とある。

天明8年(1788)生〜孝明元年(1847)歿  
 昌平坂学問所の儒者。古賀精里の三男で、字は季曄、号を侗庵・古心堂などと称し、父精里に随い江戸で勉学して幕府儒者見習いとなって昌平黌に出仕し、佐賀藩江戸屋敷で藩士に教授した儒者である。古賀氏は本姓は劉、帰化人の後裔で、代々が肥前に住み佐賀藩士であった。
 また侗庵は詩会「如蘭社」を主宰した。メンバーには江木鰐水、関藤藤陰、頼杏坪、頼山陽、宮原龍、津田終吉(津田賁)など約50名がいた。
 著書の『海防臆測』(上・下 天保10年頃 (1839頃))は、ロシア問題に深い関心をもっていた侗庵が、わが国の海防とくにロシアに対する備えの必要とその方法を漢文で記したもの。
 また、『水虎考略』(天保7年(1836) 霊槐書写)は、水虎=河童の関する著述で、原本を侗庵が文政3年 (1820) にまとめた。天保10年(1839)に再び侗庵によって、より多くの文献から河童譚を集めた『後篇』2冊も編まれた。
 「侗庵支離子書」の下に、白文の「古賀U印」、朱文の「曄卿氏」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/jinmeiroku/koga-touan/koga-touan.htm
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/work/toant.htm
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/kyuki/doc/0A027950000000.html
http://www.city.nishio.aichi.jp/kaforuda/40iwase/collection/suikokouryaku/suikokouryaku.html

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