戸川 安清 とがわ やすずみ
   

絶漠大軍還
平沙獨戍
空留一片石
萬古在燕山
絶漠 大軍還り
平沙 独戍 間なり
空しく留む 一片の石
万古 燕山に在り      (劉長卿 平蕃曲二首 其二)
106.0p×29.1p

天明7年(1787)生〜明治元年3月4日(新暦 1868年3月27日)歿
 旗本500石。幼名は雄三郎、名は安恵のちに安清。字は興。号は蓮庵・蓬庵・蓮仙、剃髪後は蓬庵。
 戸川安論の子(中島戸川家5代目)として生まれた。文化2(1805)年 従五位下大隅守・目付に叙任(のち播磨守)。天保7(1836)年より長崎奉行。天保13(1842)年2月より勘定奉行。弘化2(1845)年より西の丸留守居役。万延元(1860)年より留守居役など要職を歴任。
 文久元(1861)年 公武合体のため江戸に居る将軍・徳川家茂のもとへ降嫁する和宮の警護役を務める。慶応2(1866)年12月に剃髪隠居し、子の中務少輔が早世しているため跡目は養子(孫)の八百次郎に継がせた。
 安清は篆書・隷書を得意とする書の達人として知られており、家茂の師範を務める程であった。 有名な書に、不洗観音寺(倉敷市中帯江)の本堂「縁起額」(天保10年)と昌平黌の「論語」の一節を書いた屏風(安政3年)がある。
 「入木末流蓮仙清」の下に、朱文の「我年」、同じく朱文の「七十八」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%AE%89%E6%B8%85
http://kotobank.jp/word/%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%AE%89%E6%B8%85
http://www.shodo.co.jp/blog/monument/2008/08/18.html
http://hishiki77.ld.infoseek.co.jp/2-2shushi/sotai/162-0053kokokuji.htm
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/section/hakubutsukan/museum/hakubunkazai/fukyu/koukaizigyou/h19/190826-2.pdf
http://toyosu-rekishi.hp.infoseek.co.jp/nakaobie/2kannnonji.htm
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1959.html
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1311.html


参考文献一覧      HOME