椿 椿山 つばき ちんざん1
   

蘭画
横最大44.5p

享和元年6月4日(新暦1801年7月14日)生〜嘉永7年7月13日(新暦1854年8月6日)歿
 江戸時代後期の日本の文人画家。名は弼、字は篤甫、通称は忠太・亮太。号は椿山の他に、琢華堂・休庵・四休庵・春松軒・碧蔭山房・羅渓・琢華道人。
 幕府槍組同心の子として江戸小石川天神に生まれる。幼くして父を失い、父と同じく幕府槍組同心を勤めたが辞職し、画業に励んだ。また武術にすぐれ、煎茶などへの造詣も深かったという。画ははじめ谷文晁門下の金子金陵に学び、のち同門の渡辺崋山に師事し大きな影響を受けた。また谷文晁にも教えを受けたという。温和で忠義に篤い人柄であったこともあり、崋山に深く信頼され、その高弟として活躍した。崋山の入牢・蟄居の際にはその救済に尽力し、華山没後は献身的に遺族の世話をしたことでも知られている。崋山門のなかでとりわけ花鳥、花卉図を得意とした椿山は、とくに中国明末清初の画家ツ南田(1633‐1690)の画法をよく学び、没骨の描写による淡彩の花卉図を多く残した。写生と装飾性を調和させた独自のスタイルを確立しその後の画壇にも影響を与えた。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E6%A4%BF%E5%B1%B1
http://www.tsukudo.jp/houmotu-tinzan.html
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/_archive/collection/item/J_157_855_J.html
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%92%D6%92%D6%8ER/
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