新宮 涼閣 しんぐう りょうかく
   

五遇流行虎狼病
小心大膽術無窮
冷嚴却隠焦眉急
難奏醫陟神速功
明治辛巳歳晩述懐
五たび流行に遇す 虎狼病(=ころり・コレラ)
小心(=臆病)大胆 術 無窮(=永遠)
令厳(=厳格な命令) 却って隠す 焦眉急(=焦眉之急-差し迫った状態)
医を陟(=良い方向に)(すす)め難し 神速(=迅速)の功
明治辛巳(明治14年)歳晩述懐
35p×138p

文政11年(1828)生〜明治18年(1885)歿
制作年 明治14年(1881) 54歳
 名は義健、涼閣・白雲・涼園と号す。幕末・明治の医者。古河自勝の五男として丹後に生まれる。医学を宮鬼園に学び、その養子となった。
 「涼閣學人」の下に、白文の「新宮義健」、朱文の「涼閣」の落款印が押されている。

 日本に初めてコレラが発生したのは、最初の世界的大流行が九州から始まって東海道に及んだ文政5年(1822)のことで、箱根を越えて江戸に達することはなかった。
 江戸だけで10万人が死亡したといわれるいわゆる「安政コレラ」で、安政5年(1858)から3年にわたり、全国を席巻する大流行となった。
 1862年には、残留していたコレラ菌により3回目の大流行が発生、56万人の患者が出て、江戸では7万3000人が死亡した。
 以後、明治に入っても2〜3年間隔で万人単位の患者を出す流行が続き、明治12年(1879)、明治19年(1886)には死者が10万人台を数え、日本各地に避病院の設置が進んだ。


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