大原 孫三郎 おおはら まごさぶろう
   

うまるるも 死ぬるも しらぬ 吾なれは
何になるやら それも 知らなひ
生まるるも 死ぬるも 知らぬ 吾なれば
何になるやら それも 知らない
65p×19.5p

明治13年(1880)7月28日生〜昭和18年(1943)1月18日歿
 現在の倉敷市生まれ。日本の実業家で、父の大原孝四郎が創立した倉敷紡績を継ぎ、これを倉敷レイヨンに発展させた。また、中国合同銀行(中国銀行の前身)、中国水力電気会社(中国電力の前身)の社長を務め、大原財閥を築き上げた。
 社会事業にも熱心であった。18歳のとき二宮尊徳の「報徳記」をくり返し読み、事業の利益の何割かは社会へ還元すべきであって、私腹をこやしてはならない、という訓えに心を打たれたという。
 東京専門学校(早稲田大の前身)に学ぶが放蕩生活を送り中退、20歳の時、キリスト教の熱心な感化を受けた。孫三郎は、まず彼にキリスト教を教えた石井十次の経営する岡山孤児院を援助した。
 彼は高い理想を持って経営に当たり、社会貢献こそが、経済人としての自己の役割と確信していた。孤児救済事業、留学生支援、工員の福利厚生など、熱心に取り組み、倉紡中央病院、大原美術館、大原奨農会農業研究所(現・岡山大学資源生物科学研究所)、倉敷労働科学研究所、大原社会問題研究所、現岡山県立倉敷商業高等学校を設立した。
 中でも、大正8年に設立された大原社会問題研究所(現法政大学大原社会問題研究所)は、大正・昭和初期の社会科学のメッカであった。この研究所がわが国の社会科学や労働運動に投げかけた影響は測り知れないものがあり、現在は法政大学大原社会問題研究所として継承されている。
 また、大原美術館は昭和5年に、その前年に死去した画家の児島虎次郎(1881-1929)を記念するために倉敷市に建設した。エル・グレコの「受胎告知」や印象派の名作を蒐集したもので、今日では日本に存在することが奇蹟としか思えないほど素晴らしい、日本を代表する美術館へと発展している。
 一方で、大原三楽庵と称し、裏千家14代淡々斎(1893-1954)の門下生でもあった。吉川英治とも同門で、茶器の名品を多く蔵したことでも知られている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E5%AD%AB%E4%B8%89%E9%83%8E
http://www.kurabo.co.jp/sogyo/
http://manabow.com/pioneer/ohara/index.html
http://www.ifsa.jp/kiji-sekai-ooharamagozaburou.htm
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/senjin/news/2008/05/29/20080529152949.html
http://www.entame.biz/ijin/nihonn/oohasi.shtml
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog448.html
http://www.apalog.com/daisen/archive/86
http://archive.mag2.com/0000000699/20060604000000000.html
http://www.net-ir.ne.jp/ir_magazine/pioneer/vol033_3106.html
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-b0f5.html


参考文献一覧      HOME