小笠原 長生 おがさわら ながなり
   

感謝
あたたかき
友のなさけに
めぐまれて
八十八のよはい
たもつうれしさ
感謝
あたたかき
友の情けに
恵まれて
八十八の余輩
保つうれしさ
最長51.8p

慶応3年11月20日(新暦 1867年12月15日)生〜昭和33年(1958)9月20日歿
 佐賀県出身の海軍軍人。海軍中将 正二位 勲一等 功四級 子爵。幼名は賢之進、号を鐵鸚と称した。
 小笠原長行(藩主長昌の子で、世子の身分で幕政に参画し、老中格となった第二次長州征伐の指揮官)の長男。唐津小笠原家の最後の藩主で事実上、最後の「殿様」として唐津に尽くした。
 明治27、28年日清戦争に巡洋艦高千穂分隊長として参戦した。彼は文筆に優れ、戦後この時の様子をまとめた『海戦日録』によって才を高く評価され、『能島流海賊古法』『日本帝国海上権力史講義』など水軍に関する著述が豊富にある。
 明治40年(1907)、軍令部参謀として海軍司令長官東郷平八郎の知偶を得ることになり、その才を認められ、明治44年(1911)には軍令部出仕兼参謀のまま学習院御用掛となり、院長乃木大将のもとで役を務めた。明治天皇崩御の際の乃木大将夫婦殉死前後の大将と深くかかわることになり後事を託され、乃木将軍の長生宛の遺言や常用された書籍類が遺品として長生の手元に残された。大正3年(1914)には東宮御学問所の設置にあたり、皇太子(昭和天皇)の教育にもあたった。
 長生は、東郷平八郎を神格化するのに功績があった人物で、東郷平八郎の掛け軸によく箱書きをしている。
 「長生書」の下に、白文の「長生之印」、朱文の「鐵鸚」の落款印が押されている。

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