中島 棕隠 なかじま そういん
   

一夜秋風撼屋過
紛々栗子不堪柯
家臺打草徒捜去
蚤已鄰園拾得多
一夜の秋風 屋を撼(うご)かして過ぎ
紛々(=乱れ散る)栗子 柯(=枝)に堪えず
家台の草を打って 徒(ただ)捜して去る
蚤は已に鄰園 拾得(=落とし物)多し
123.8p×43.3p

安永9年(1780)生〜安政3年(1856)7月15日歿
 江戸後期の漢詩人、儒者。名は徳規・規、字は景寛・士成、通称は文吉、号は棕陰・棕隠・椶軒・画餅居士・因果居士・安六道人・無諍・般庵・錦花翁、狂詩号は安八道人、鴨川のほとりに住み、居所を水流雲在楼、銅駝余霞楼(どうだよかろう)・道華庵・三昧庵などと称した。
 京都で代々儒者の家に生まれる(一説に近江国甲賀郡嵯峨村の生)。父は中島泰志(徳方)、本姓は紀氏という。母は甲。妙法院真仁法親王の文化圏に育ち、伴蒿蹊に国学を、古註学派の村瀬栲亭に儒学を学んだ。
 本来自由放縦な生活を営み、一生仕官せず、貧乏を忘れて生きたので奇行逸事が多い。詩は清の趙翼に比せられ、また和歌、俳句も能くし、狂歌、狂詩、狂文も作った。諧謔風刺まことに鋭く、小説も書いたという。壮年時代の作で艶詩をもって祗園の花街風俗を歌った『鴨東四時雑詞』は有名である。文政10年(1827)には春から夏にかけて、神辺・鞆・尾道・福山を訪れた。晩年は京都聖護院村に住んだ。
 頼山陽、篠崎小竹、梁川星巌、梅辻春樵らとの交友を続けながら、かつて六如上人に称賛された清新詩を次々と『棕隠軒集』(初〜4集)に披瀝し、『都繁昌記』に京風俗を活写した。傍ら『太平新曲』『太平二曲』『太平三曲』などの狂詩集も出版した。
 幕末の不穏な政情を睨みつつ、客を招いて手ずから料理を振る舞い、書画に健筆を揮い、自邸の庭を耕しながら弟子に経書を講ずる晩年であったという。弟子に岡本黄石(彦根藩家老)などがいる。
 「椶軒」の下に、白文回文の「嶋徳規印」の落款印が押されている。

推奨サイト
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