長瀬 時衡 ながせ ときひら
   

秋入荒南沙塞營
干戈滿眼一傷情
壮心已擲○生筆
髪櫛蠻風白幾茎
秋に入る 荒南の沙塞(=国境の砂漠)の営(=砦)
干戈(=盾と鉾)眼に満ち 一傷の情
壮心 已に擲(なげう)ち ○生筆
髪櫛(=南方の風俗)蛮風(=南方に吹く風) 白幾茎
30.0p×139.0p

天保7年2月12日(新暦 1836年3月28日)生〜明治34年(1901)9月27日歿
 名は元蔵、通称は古輔、号は静石。大坂で緒方洪庵の適塾に学ぶ。のち京都・長崎に遊学し、郷里の備前に帰り岡山で開業した。慶応元年、藩医となる。
 維新後、兵部省に勤め、広島鎮台軍医長・軍医監などを歴任した。
 明治18年、赤十字病院長軍医総監橋本綱常(城晃)が欧米諸国に視察したとき、各国病院にてマッサージの外科応用の理論に親しく実見して帰国し、部下であった長瀬時衡に紹介した。広島博愛病院院長であった長瀬時衡は同病院に整形外科療法の一助として医療現場に採用した。これが日本医療マッサージの始めで、長瀬時衡は明治26年(1893)、日本初のマッサージ書『?氏按摩術』(『Die Technik der Massage』Dr. Albert Reibmayr著)を翻訳した。
 儒仏に通じ、詩歌俳諧を能くした。
 「静石」の下に、白文の「長瀬時衡」、朱文の「静石」の落款印が押されている。

推奨サイト
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http://tao.main.jp/anma_pukiwiki/index.php?%B0%C4%CB%E0%A5%EA%A5%F3%A5%AF%BD%B8
http://www3.tok2.com/home/anchan13/syugiryouhou/massa-ji.htm


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