諸岡 正胤 むろおか まさたね
   

よしの山に登りおる時 如意輪寺にて
楠正行の矢の根もて しるされたる扉のかたを見て

三芳野は さくるもあれと かたとひら のこるも柴の はなそことなる
吉野山に登りおる時 如意輪寺にて
楠正行の矢の根もて記されたる扉の形(跡形)を見て

み吉野は 探るもあれど 形扉 残るも柴の
花ぞ異なる
130.0cm×29.8p

文政12年(1829)生〜明治32年(1899)歿
 江戸出身。通称は豊輔。号は節斎、布志乃舎。
 大国隆正や平田篤胤の後継者平田銕胤に学ぶ。
 尊王攘夷運動に加わり文久3年三輪田元綱らと足利氏木造梟首事件をおこして捕らわれる。
 維新後は京都の松尾大社大宮司、神道事務局教授など歴任。著作に『みすず日記』などがある。(参考文献『新修 平田篤胤全集 別巻 門人帖他』)


如意輪寺は、奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺。山号は塔尾山。本尊は如意輪観音。本堂の背後には足利尊氏により京を追われ、吉野の地で死去した後醍醐天皇の陵・塔尾陵、世泰親王墓がある。
 正平2年(1346)12月、楠木正成の長男・楠木正行が四條畷の戦いに出陣するに際し、決死の覚悟の一族・郎党名とともに当寺にある後醍醐天皇陵に詣で、如意輪堂の扉を過去帳に見立て、鏃で一族・郎党143名の名前を記してその奥に辞世の句「かへらじと かねて思へば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」を書き付け、自らの遺髪を奉納したという。その扉とされるものが今も寺に伝わる。


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