嶺田 楓江 みねた ふうこう
   

蕭然行李寄覊愁
二十離家事浪遊
歸鳥影迷山樹暮
一蓑烟雨入房州
蕭然(=もの寂しい)行李(=旅人) 覊愁(=物思い)に寄す
二十で家を離れ 事(=仕事)は浪遊(=ぶらぶら暮す)
帰鳥 影迷う 山樹暮れる
一蓑(=みの) 烟雨 房州に入る
106.4p×27.3p

文政元年(1818)生〜明治16(1884)年12月28日歿
 名は雋、字は士徳、楓江と号し、通称は右五郎。
 丹後(京都府)田辺藩士。佐藤一斎に儒学を、箕作阮甫に蘭学を学び、頼三樹三郎らの志士と交流した。
 天保14年(1843)には、現在の北海道を踏査して、江戸幕府に屯田制や北方警備の必要性を訴えた。
 嘉永2年(1849) 中国におけるアヘン戦争の惨禍を知り、その状況を広く憂国の士に訴えんと『海外新話』を刊行した。書中、世界及び中国の略図を付し、当時における英国のアジア侵略状態を図示した上、多くの挿絵をのせ、理解を容易にした。
 しかし、治安を乱したとして、3年の投獄と三都所払いとされ、当時の請西村(現在の木更津市請西)に移り、維新後は木更津や茂原で私塾の講師を務め、当地で地元子弟の教育に専念した。明治14年(1881)に長寿とその業績をたたえた寿碑が建立された。この碑は全国でも珍しい碑で、文を重城保が撰し、題字を英国領事館コラウブスが、書を清国の劉世安が記した。
 明治16年、薫陶学舎の教師時代に病没した。
 「楓江釣人」の下に、白文の「名余曰俊」、朱文の「字曰士徳」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://kotobank.jp/word/%E5%B6%BA%E7%94%B0%E6%A5%93%E6%B1%9F
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%97%E4%93c+%95%96%8D%5D
http://www.yaturugi.net/page005.html
http://www3.ocn.ne.jp/~minken/inouemiki.html
http://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/data47.htm
http://www.dh-jac.net/db1/mai-itoi/mai/FMPro?-db=mai1.fmj&-lay=Layout2&-error=search_error.htm&-format=results.htm&f5=*%97%E4%93c%95%96%8D%5D&-Find
http://www.city.kisarazu.lg.jp/life/machi/minato/hachimannsama.html


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