松島 十湖 まつしま じっこ
   

吹きかえす 天地の息の はつ霞
162p×31.5p

嘉永2年3月17日(新暦 1849年4月9日)生〜大正15年7月10日(新暦 1926年8月17日)歿
 俳人・報徳運動家・政治家。松島源左衛門の長男として遠江国豊田郡中善地村(現 浜松市東区豊西町)に生まれる。幼名吉太郎、吉兵衛、のち吉平と改称。俳号は大蕉庵十湖。
 城東郡笠原村(旧小笠郡大須賀町・現掛川市)撰要寺住職戒誉玄常に書・法典の教えを受け、のち国学を有賀豊秋(1790〜1882)に、漢籍・詩文を高橋月査・小栗松靄(1814〜1894)に学ぶ。
 15歳で俳諧を栩木夷白(1797〜1876)に学び、夷白死後は伊藤嵐牛・橘田春湖に教えを受けた。
 俳人としての十湖は、全国的に門人を数え、地方俳壇の一つの尾根を形作くっていた。句碑は全国にある。
 十湖には二つの面があった。一つは句作による芭蕉文学に傾倒する精神的なもの。もう一つは二宮尊徳を崇拝して経済・道徳によって指導する実践的なものである。
 十湖の句に教訓的なものが多いといわれるのも、この二つが統一された焦点にあるかのように思われる。
 また小田原の報徳学者福山滝助について報徳思想を学び、明治元年(1868)中善地村報徳社を組織、営繕司に一時出仕。明治5年(1872)報徳遠譲社を結成、社長となる。翌年より戸長、恒武学校幹事、区会・村会議員を務め、明治12年(1879)引佐・あら玉郡長となる。明治18年(1885)西遠農書館を創設、明治22年(1889)遠陽大同倶楽部を組織、翌年大同倶楽部に加盟、再び県会議員となる。(『静岡県 歴史人物事典』P433)
 「十湖」の下に、白文の「大無?」の落款印が押されている。

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