加藤 旭嶺 かとう きょくれい
   

更無俗物當人眼
但有泉聲洗我心
更さらに俗物ぞくぶつの人ひとの眼まなこに当あたるなし、
たゞ泉声せんせいの我わが心こゝろを洗あらふあり
 白居易詩 宿霊岩寺上院(『和漢朗詠集』下巻 山寺)
135.8p×33.7p

明治3年(1870)生〜昭和35年(1960)歿
制作年 大正2年(1913) 44歳
 山形の人。名は登太郎、字は升卿、号を旭嶺・坦齋・翠竹などと称した。漢学を後藤種親、漢詩を柴田節堂に学び、中林梧竹の門弟を名乗った。各地の学校に奉職して書道教育に従事し、昭和三年には朝鮮総督府より第七回朝鮮美術展審査員を委嘱され、また平安書道会の創立に参加して、その幹事や理事を歴任した。また、戦前、古梅園の京都支店が出版した『和漢朗詠集抄』(昭和9年)、『集字李靖碑(王知敬書)』(昭和13年)の両書の編輯を担当した。

 「旭嶺」の下に、白文の「加藤登印」、白文の「旭嶺翰墨」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www1.ocn.ne.jp/~go79dou/ibun31.html
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-237.html
http://www.nara-edu.ac.jp/ARCHIVE/DB/arch899.htm


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