阪井 久良伎 さかい くらき
   

古之 七賢 人等毛
欲為物者 酒西有良師
久良伎 録大伴卿讃酒歌之一

(いにしえ)の 七(なな)の賢(さか)しき 人たちも 欲(ほ)りせしものは 酒にあるらし
             (「万葉集」巻三・340 大宰帥大伴卿讃酒歌十三首の第三)

大伴 旅人(おおともの たびと)
天智四年(665)〜天平三年(731)。奈良時代の歌人。大伴安麻呂(ヤスマロ)の長男。宿奈麻呂(スクナマロ)の兄、坂上郎女(サカノウエノイラツメ)の異母兄。子に家持(ヤカモチ)・書持(フミモチ)らがいる。中務卿(ナカツカサキョウ)・中納言・大宰帥(ダザイノソチ)などを歴任、従(ジュ)二位大納言にいたった。『万葉集』中に長歌一首・短歌五十六首、『懐風藻(カイフウソウ)』に漢詩一首を残す。その中心は神亀五年(728)〜天平二年(730)の大宰帥在任時代の作で、筑前守(チクゼンノカミ)山上憶良(ヤマノウエノオクラ)と出会ってのち、いわゆる筑紫(ツクシ)歌壇を形成した。作品には老荘思想を取り入れるなど中国文学、文化の影響が著しい。亡妻への挽歌(バンカ)など個人的な世界に沈潜した新しい叙情の質がうかがわれる。〔古典文学辞典 人名編〕
130.3p×34.2p

明治2年1月24日(新暦 1869年3月6日)生〜昭和20年(1945)4月3日歿
 本名は坂井辨(わかち)、幼名は和歌次郎、久良岐(昭和4年頃以降 久良伎)・石城(漢詩)・徒然坊(和歌)・窺雲斎・玉骨庵・へなづち・富士見の里人・錦粧軒・継古庵などと号した。狂句否定と古川柳への回帰を訴え、明治の川柳改革を推進した。昭和3年から昭和20年心臓喘息で逝去するまで千葉県市川市真間に僑居した。「真間隠士」の号は真間僑居を期に使用されたようだ。
 「久良伎 録大伴卿讃酒歌之一」の下に、朱文の「久良伎」、白文の「錦粧軒」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.doctor-senryu.com/01_museum/Kuraki.html
http://www.doctor-senryu.com/01_museum/kuraki-kuhi.html
http://www.senryu-gakkai.com/pdf_file/k002%20kuraki.pdf
http://home.att.ne.jp/grape/take3/z8i3amvf/575/0/kuraki_c.html
http://www.n-fmellow.org/kahitokuhi/kuraki.html
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/bunka/bunpla/05syowa/senryu.htm


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