久米 逸淵 くめ いつえん
   

情けは人のためならず
こぼれては 根を養ふや 菊の露  逸淵
17.9p×19.1p

寛政2年(1790)生〜文久元年7月20日(1861年8月25日)歿
 児玉郡八幡山町(児玉町八幡山)の旧家久米家に生まれる。名は久米清一郎・清右衛門、俳号は可布、後に逸淵、瓢箪や椿を愛し、瓢箪居・椿老人等と称した。
若くして俳諧を毛呂山の川村碩布の弟子となり頭角を現す。文政11年(1828)3月、師より春秋庵を譲られ、5世を継ぎ春秋庵可布と名乗る。上州高崎に出て開庵し業俳となり地盤を築く。
 天保9年(1838)、富処西馬に文台を譲り、江戸の木挽町に出て可布庵を開庵し、小林一茶や田川鳳郎等と交わる。
 天保12年(1841)、斎藤南々『蝉塚集』に、嘉永5年(1852)、小林一茶の『おらが春』に序文を寄せたことで有名。
 安政3年(1856)、本庄宿に隠退し、戸谷双烏と交遊した。安政5年(1858)には郷里児玉の八幡神社に念願の鉄製の芭蕉句碑を建立し、句集『すみれ塚集』を刊行した。晩年児玉村に帰り死去。
 門弟に高崎の富処西馬、玉村の羽鳥半海、水沼村の下平可都三、本庄宿の小倉紅於、深谷市中瀬の斎藤南々、江戸の遠山弘湖がいる。
 文久2年(1862)、一周忌集『椿塚集』が刊行され、文久3年(1863)、三回忌には行庵洒雄が追善集『かりかね集』を刊行した。慶応3年(1867)、逸淵の遺子久米信則によりこの七回忌追善『逸淵発句集』が編集刊行された。発句600句、和歌が若干収録されている。

推奨リンク
http://members.jcom.home.ne.jp/michiko328/ituen.html
https://www.lib.pref.saitama.jp/stplib_doc/data/d_conts/kicho/syosai/002.html
http://www.pref.saitama.lg.jp/site/ijindatabase/syosai-104.html
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000059371
http://honjyo.jp/ituen.html


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