木越 安綱 きごし やすつな
   

天之道猶張弓
天の道は、なお弓を張るがごとき

【老子道徳経】第七十七
天之道、其猶張弓與。高者抑之、下者舉之、有餘者損之、不足者補之。天之道、損有餘而補不足。人之道則不然、損不足以奉有餘。孰能有餘以奉天下、唯有道者。是以聖人為而不恃、功成而不處、其不欲見賢。

天の道は、それなお弓を張るがごときか。高き者はこれを抑え、下き者はこれを挙げ、余り有る者はこれを損じ、足らざる者はこれを補う。天の道は余り有るを損じて、しかして足らざるに補う。人の道は則ち然らず。足らざるを損じて以って余り有るに奉る。孰(だれ)かよく余り有りて以って天下に奉る、ただ道有る者のみ。ここを以って聖人は、為して恃(たの)まず、功成って処(お)らず。それ賢を見(あらわ)すを欲せざればなり。

(意訳)天の道というものは、弓を張ったようである。弓の高いほうの端が抑えられ、下の端がもち挙げられるように、余る者から取って不足する者に補っている。天の道は余る者から取って不足する者に補っているが、人の道はどうだろう。決してそんな事はしない。不足する者から取って余る者に奉っている。しかし誰が、余りを天下に奉ることができるというのか。ただ道を知っておる者のみ。それだから聖人は事業を成しとげても、それに頼ることがなく、成功しても、それを気にさえしない。自らの賢さを天下に顕わすことさえ望まないのだ。
要は、無私無欲の者こそが聖人である
132.4p×31.1p

嘉永7年3月25日(新暦 1854年4月22日)生〜昭和7年(1932)3月26日歿
 金沢藩士加藤九八郎の次男として生まれる。明治6(1873)年陸軍教導団を経て、1875年、陸軍士官学校(旧1期)に入る。士官学校在学中に西南戦争に出征して負傷する。1883年、ドイツ留学。
 日清戦争(1894〜95)では第3師団参謀として活躍。第3師団高級参謀,参謀長として桂 太郎師団長を補佐した。以後,桂の庇護のもと軍務局長などを歴任。
 日露戦争(1904〜05)では歩兵第23旅団長として出征。次いで第5師団長として黒溝台会戦に参加し、第8師団(立見尚文中将)を全滅から救った。1907年9月21日、西南・日清・日露の各役の軍功により男爵を授爵。
 明治45(1912)年12月第3次桂内閣成立時に抜擢されて陸軍大臣となったが、第1次護憲運動のなか桂内閣が倒れ、1913年1月、第1次山本権兵衛内閣で陸軍大臣を留任した。軍部大臣現役武官制の改正に陸軍は猛反対したものの、最終的に木越が陸軍の意向に逆らう形で、閣僚として改正に同意する。6月13日、予備役でも軍部大臣に就任できるように改正され、6月24日に至って辞任。
この改正以後、陸軍の意向に逆らった木越は冷遇された。陸軍大将に昇進することなく、定年前に予備役に編入される。1920年から没するまで貴族院議員を務めた。
 「安綱」の下に、朱文の「安綱」、白文の「木越印信」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E8%B6%8A%E5%AE%89%E7%B6%B1
http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel/kigoshi.html
http://kotobank.jp/word/%E6%9C%A8%E8%B6%8A%E5%AE%89%E7%B6%B1
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nazuke/048kigosi.htm
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/751969/%96%D8%89z%88%C0%8Dj/1/
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20061010/p1
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/sikan1.html
http://www.viswiki.com/ja/%E6%9C%A8%E8%B6%8A%E5%AE%89%E7%B6%B1


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