大島 完来 おおしま かんらい
   

ながめても みても
野に有り 秋のつき
78.8p×25p

寛延元年(17489生〜文化14年4月18日(1817)歿
 伊勢津藩士。本姓は富増、通称は吉太郎、別号に震柳舎・野狐窟・空華居子などがある。
 俳諧を二世宗瑞、のち芭蕉門十哲の一人 服部嵐雪の後を次いだ三世雪中庵大島蓼太に学び、のち養子となって天明7年雪中庵四世を継いだ。
 雪中庵は、一世嵐雪、二世桜井吏登、三世大島蓼太、四世大島完来と続いた。とりわけ蓼太は、雪中庵隆盛期の俳人で、俳書200種、文台を許した輩は40人、門人3000人とも伝えられている。
 編著に『ふじ衣』(天明7)、『桜縁記』(寛政1)、『江島詣』(文化2)、『桜花』帖(文化3)などがある。
 「完来 むさし野の八 雪中山人書」の下に、下駄判朱文の「?」「?」が押されている。

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