金沢(平)千秋 
   

    さみだれの ふりつゞきける頃
    藥艸喩品(妙法蓮華経)を讀誦し奉りて
                     平 千秋
 お も ひ や る な(並) べ  草 木 の
 潤 ひ し み や ま の の り(法) の 雨
 の ふ る こ と
  
    
22p×16.8p

明和2年(1765)生  
 「寛政重修諸家譜」によれば、明和2年(1765)生。幼名は亀松、父は瀬兵衛、母は(植村孫四郎)正直が女。妻は久世忠右衛門広厚が女。後妻は吉田左京直頼が女。また久松助右衛門が女。安藤小平次重忠が女を娶る。
 天明元年(1781)8月6日はじめて浚明院殿(将軍徳川家治)に拝謁し、6年6月14日御勘定となる。この後、各地を巡検している。
 『蜀山家集(放歌集)』には「平千秋の佐渡の任におもむき給ひけるときよみて奉るうた」として「みちのくの山ならなくによろこびの長きためしのこがね花咲く 黄金はなさくてふ島にことのはの玉藻かるべき時もこそあれ」とある。
 寛政12年(1800)、幕府の巡検使として田沢に逗留した金沢千秋は『越能山都登』を著した。これは田沢村(現中里村)桔梗原の開田工事に幕府の巡検使として同地に滞在した折りの見聞録で、当時のこの地方の様子や縮生産の具体的記述を今に伝えている。内容は風俗・自然・雪具などに及び、当時織られていた越後縮(麻織物の一種)の生産工程を挿絵を交えて詳しく記している。挿絵は亀井協従。
 他に、関東・東海(武蔵・下総・上野・常陸)の河川・街道の巡検記の『川めぐり日記』がある。
 千秋は文化13年(1816)7月24日〜文政元年(1818)年4月28日まで、筒井政憲の前任として長崎奉行を勤めている。

推奨サイト
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~itasaka/kikou/kawameguri.html
http://72.14.235.104/search?q=cache:mqRpQKb_M8YJ:ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%A5%89%E8%A1%8C+%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%8D%83%E7%A7%8B&hl=ja&ct=clnk&cd=9&gl=jp&lr=lang_ja



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