神谷 源内 かみや げんない
   

遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅於二月花

遠く寒山に上れば 石径斜なり
白雲生ずる処 人家有り
車を停めて坐(そぞろ)に愛す 楓林の晩
霜葉は二月の花より紅なり    (杜牧詩 山行)

135p×34p

生没年不詳
 豊前の人で、名は弘孝、通称源内、号を二洲と称し、蘭学者として知られた中津藩の藩士。10数歳で小姓として藩に仕え、剣術に励んだ。その後、小納戸・手道具預・徒頭・側取次・徒取次・徒士頭などを歴任した。
 源内は出島商館長ドゥーフからピーテル・ファン・デル・ストルプ(Pieter van der Stolp)という蘭名を与えられた。彼は、シーボルトとの親交を深めた藩主奥平昌高(1781〜1855)の命に因り、文化7年(1810)に日本で最初の和蘭辞書『蘭語譯撰(Rango yakusen)』を選書した。『蘭語譯撰』は幕府天文台に勤務するかたわら蘭学を教えた馬場貞由の校閲、藩主昌高が監修した日蘭対訳辞書である。収録の語数は7,072語、天文 地理 時令 数量 宮室 人品 家倫 官職 身体 神仏 器用 衣服 飲食 文書 銭穀 采邑 人事 動物 植物の19項目にわたり、当時、この種の辞書としては最も充実したものであった。『蘭語譯撰』は『中津バスタード辞書』と共に「中津辞書」とも称され、日本各地で活用されたのみならず、出島やオランダのライデン大学で日本語を学ぼうとするオランダ人にも、大いに利用された。
 源内は桂川甫賢・大槻玄沢・宇田川玄真・高橋景保・馬場佐十郎・鷹見泉石・犬山藩士辻村仁兵衛・伊勢屋七右衛門らと交流があった。また、「及門録」によれば、長男の鎌太郎は、松代藩の佐久間象山に大砲の鋳造や演習を教授されている。(参考文献:『人物と交流T』「中津藩主奥平昌高と西洋人の交流について」ヴォルガング・ミヒェル))
 「二洲?」の下に、白文の「弘孝之印」、朱文の「?」の落款印が押されている。


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