石川 依平 いしかわ よりひら
   

かやくたく 田ふせのけふり 末はれて
月すむかたえ くひな啼くなり
蚊遣り(=蚊取り線香)焚く 田伏(=田の中の仮小屋)の煙 末晴れて
月澄む方へ くひな(=水鶏)啼くなり

寛政3年1月1日(新暦 1791年2月3日)生〜安政6年9月4日(新暦 1859年9月29日)歿
 名は方救、通称は亀蔵・為蔵、のち惣太夫、柳園・橿が本などと号した。
 遠江国佐野郡伊達方村(静岡県掛川市)に石川重高の子として生れる。6歳にして流暢な和歌を詠み、時人を驚かせた。六歳の時、評判を聞いた掛川藩主太田資順(すけのぶ)に召されて題を賜り、御前で歌を奉る。資順はこれを賞して色紙短冊等を賜ったという。寛政9年(1797)、郡山公の紹介で冷泉為章に入門し本格的に歌道を学ぶ。
 17歳のとき、本居宣長の『玉霰』を読んで国学を志し、文化10年(1813)、同郷の栗田土満(真淵・宣長門下)に入門し、国学にも精進した。
近藤芳樹・加納諸平と共に鈴屋門の「一木二平」、また諸平・飯田年平と共に「三平」と称された。交流も広く、近藤芳樹・加納諸平・伴信友らと度々書翰を往復している。門弟は三百人を数えたという。領主掛川侯より、その勉学を賞されて終身3人口を賜った。
 著書に『姓氏録同祖部類』『古書序表』『万葉新採百首続編』『万葉集三山考』などがある。また、明治13年(1880)になって家集『柳園詠草』が刊行された。

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