石田 無得 いしだ むとく
   

坐撫溪邊石
閑依竹山門
殘霞降作雨
遠水欲浮村
坐して撫でる 渓辺の石
閑は依る 竹山の門
残霞は雨を作って降り
遠水は村を浮さんと欲す
129.5p×64.5p

安永2年(1773)生〜天保11年9月25日(新暦1840年10月20日)歿
 出羽久保田(秋田県)の商家の出。名は道、字は成雅・子道、通称は巳之助・惣助、号を無得・融齋・鐵涯道人・集虚斎・梧桐・梧堂・友道・青龍などと称した。
 幼時より詩書を善くし、初め来藩していた国学者で歌人である津村淙庵に学び、淙庵に伴われて17歳で江戸に出て管茶山に師事し、佐藤一斎・伊沢蘭軒・狩谷棭齋・太田南畝・蠣崎波響ら、当時の一流文人や儒者と交流した。
 家督を継ぐため帰郷して郷里で詩書会などを開き、久保田藩の文運発展に寄与した。
無得は、詩書画に渉って巧みな文人儒者だが、その中でも特に書は優れており、淡墨を駆使した行草の連綿体に特徴的な書風を示す能書家で、江戸に永住していれば、米庵や海屋らと名を馳せたであろうことは疑い無いと言われている。日下部鳴鶴や比田井天来らも、無得の書を激賞している。
 無得の草書には智永の「真草千字文」・孫過庭の「書譜」に通じる書風がみられ、彼がそれらの書を学んだことを窺わせる。また、文徴明・菫其昌の書にも影響を受けている。菫其昌の書は清の康熙帝がこの書を愛重したことで盛行した。それは日本にも及び、文徴明と共に江戸時代の書に大きな影響を与え、無得もその影響を受けた一人だった。
 尚、森鴎外の『伊沢蘭軒』には、無得が巳之助・惣助の名で登場している。
 引首印は「行雲流水」、「無得題」の下に、朱文の「北溟漁人」、白文の「無得」の落款印が押されている。

推奨サイト
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http://www.city.akita.akita.jp/cgi-bin/senshu-art-search/list.cgi
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/kuzukago/kangakuedo2.html
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