伊藤 鳳山 いとう ほうざん
   

使臥龍逄王起會
鷹揚那譲渭熊功
尺餘白羽何曽大
鼎足煽來炎漢隆
臥龍逄(ふさ)がんと使(せし)め 王 会(=出会い)を起す
鷹揚(おうよう)那ぞ譲らん 渭熊の功
尺餘(=一尺余り)の白羽 何ぞ曽(すなわ)ち大なり
鼎足(=三公の協力)を煽来(=おだてる)して 炎漢(=漢王朝)隆たり
27.1p×21.4p

文化3年(1806年)生〜明治3年1月23日(新暦 1870年2月23日)歿
 出羽酒田本町三ノ丁(現 山形県酒田市 酒田市役所付近) の町医師の子。名は馨。字は子徳。通称は大三郎。少年時代、独学で十三経を読む。折衷学朝川善庵の門に入り、一時、養子となる。
 三河(愛知県)田原藩家老渡辺崋山に見出され、以降田原藩藩儒として藩校成章館の教授を勤めた。家老渡辺崋山、藩医鈴木春山とともに田原の三大山と謳われた。崋山の影響を受けた鳳山は、ペリー来航時には積極的開国を主張し、欧米文化の摂取を主張した。
 儒学者としては、京都・江戸・酒田などに私塾を開塾した。
 維新の際、田原藩主・三宅康保が佐幕派に加盟しようとするのを説得し、朝敵の汚名を免れしめた。
 著作は儒学のほか医学・兵学にも及び、『孫子詳解』『学半楼十幹集』がある。特に『孫子詳解』は孫子の注解書中、古今東西第一の書と称されている。
 「鳳山」の下に、白文の「伊藤馨印」、朱文の「字曰子徳」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E9%B3%B3%E5%B1%B1
http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/exp49.html
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/josetsu/2005_03/kaisetsu01.html


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