廣岡 尾山 ひろおか びざん
   

以春風接人
以秋霜自粛
春風を以て人に接し
秋霜を以て自粛する
61.9p×42.5p

天保(1830〜1843)の頃の生まれ
制作年 大正4年(1915)
 名は有久、字は士親、尾山隠士・太白山人と号した。
 この軸は曾て金沢市にて購入したことから、石川県の『美川町史』に記載のある「廣岡有久」氏かとも思われる。町史には明治5年金沢の政庁が石川県庁に移った経緯と当時県庁に奉職した官員の氏名と止宿が掲載されており、「十四等出仕聴訟課 月給十五両 廣岡有久」とある。
 井上 清氏の「近代天皇制の確立 新しい権力のしくみ」によれば、「廃藩による新置の県の機構は、さしあたり旧藩の行政機構をかりに転用するほかなかったが、四年十月、府県官制、十一月、県治条例定めて全国画一の制をしいた。府の長官を知事、副を権知事(ごんちじ)といい、県の長官を県令、副を権令とし、その下に大・小参事以下の役人を置いた。府知事・県令は三等官とされ、旧制よりも地位が低くなった。奏任官以上は中央政府が任命し、判任官以下は知事・県令に任免権があるが、それもつねに中央に報告し、監督を受ける。府県の事務は、四年末には庶務課・聴訟課・租税課・出納課に分けられた。聴訟課の名の示すとおり、府県長官は管内の民事・刑事の司法裁判権をもち、その点でまだ純然たる地方行政官になりきらず、旧制の知事、さかのぼれば幕府の遠国奉行や代官の名残りをとどめていた。しかしすでに府県兵は、いかなる名義のものも全然なく、司法裁判権も五年八月、司法省統括のもとに府県裁判所が各府県に置かれてから、府県長官の管轄からはずされた。こうして府県は、中央の指揮監督のもとに中央の政策法令を施行する純然たる行政機関となった。」とある。
 引首印は「心與水月涼」、「尾山隠士」の下に、白文の「廣岡有久」、朱文の「字曰士親」の落款印が押されている。


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