畠山 八洲 はたけやま はつしゅう
   

花増室風致
茶雪人精神
花 室に増す 風致なり
茶 人を雪(そそ=清める)ぐ 精神なり
162.7p×20.4p

生没年不明
 松坂帰庵の師。詳細調査中。
 「八洲」の下に、白文の「畠山氏」、朱文の「快夫」の落款印が押されている。




【箱書】狩野 直喜 (かの なおき)
 慶応4年1月18日(新暦1868年2月11日)生〜昭和22年(1947)12月13日歿
 熊本県生まれの中国学者・歴史学者。字は子温、号に君山、半農人がある。内藤湖南・桑原隲蔵と並ぶ京都支那学の創始者とされる。京都帝国大学名誉教授。
 東京帝国大学文科大学漢学科卒業。中国に留学した際に義和団事件に巻き込まれ服部宇之吉とともに北京の日本公使館に籠城した。帰国後、1906年、新設されたばかりの京都帝国大学文科大学の教授に就任した。
 在任中フランスに留学、シノロジーの大家シャヴァンヌ・ペリオらと交遊し当時最先端の文献学的方法を吸収、またフランスに持ち帰られた敦煌文書の閲覧を許された。
 また先述の服部とともに、義和団事件賠償金で運営された日中共同の東方文化事業に関与し、東方文化学院京都研究所(現・人文科学研究所)初代所長に就任した。昭和19年(1944年)には文化勲章受章。京都帝大教授として、青木正児・吉川幸次郎らの中国文学者・中国学者を指導育成し、また旧熊本藩細川家当主となった細川護貞も(元藩儒の流れとして)仕え教えた。
 朱子学を嫌い、考証学や徂徠学を尊んだ。


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