日下 伯巌 くさか はくがん
   

沽酒一籬花
許渾の句
灞東司馬郊園 (許渾)
   楚翁蓁塞住   楚の老人が、はるか蓁地ん果てに住む
   昔事李軽車   かつては李軽車将軍に仕えた人なのだが
   白社貧思橘   貧乏なのでかの白社の地に橘を植えようかとも思い
   青門老種瓜   結局は長安東門の郊外に瓜を植えて老後を養う
   読書三径草   三径庭は草の茂るに任せて読書を楽しみ
   沽酒一籬花   酒を買ってきて籬の花を愛賞する
   更欲尋芝朮   さらに芝朮を尋ね求めんが為に
   商山便寄家   商山に家を移そうとされている
130.4p×27.7cm

天明5年2月17日(1785)生〜慶応2年9月14日(1866)歿
 明教館教授。伊予松山城下(現松山市)の出身。名は梁。号は陶渓、伯巌はその字。杉山熊台に古文辞学を学ぶ。文化12年(1815)藩命により昌平黌に入学し、古賀精里や佐藤一斎に師事し、朱子学を修得。文政10年(1827)、松山に帰り、藩主松平定通に仕えた。文政11年(1828)、松山藩の藩校である明教館の開設により、教授として長く藩士の子弟教育に従事した。その門から矢野玄道や大原観山らを輩出した。安政元年(1854)隠居。また、詩文に秀で、書道も巧みであった。
 「陶渓梁」の下に、白文の「日下梁印」、朱文の「伯巌」の落款印が押されている。

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