朝川 善庵 あさかわ ぜんあん
   

微官抛却且歸休
一掬清風三徑秋
金紫從來非所慕
好投白社混緇流
墨菊詩
微官(=役人) 抛却(=うち捨てておく)且つ帰休(=休暇)
一掬(=僅かな)の清風 三径(=庭)の秋
金紫(=高貴) 従来慕う所に非ず
好投白社 緇(=黒)と混ざって流る
18.0p×17.2p

天明元年4月8日(新暦 1781年5月1日)生〜嘉永2.年2月7日(新暦 1849年2月1日)歿
 名は鼎、字は五鼎、善庵・再生翁・学古堂・楽我小室・小泉書院と号した。片山兼山の末子。父を幼時に失い、母の再婚先の医者朝川默庵に養われる。
 12歳で山本北山に折衷学を学び、その学才を高く評価された。寛政10年(1798) 長崎鎮台の肥田豊洲に従い、京坂・九州各地を遊歴。博学で経義に詳しいことをもって全国に名を知られ、江戸で佐藤一斎と並ぶ名声を得た。津藩主藤堂氏や平戸藩主松浦氏から扶持を受け、諸侯の門人も多数にのぼり、私塾を江戸本所小泉町に開いた。
 文化12年(1815)、伊豆に清国船が寄港し、言語通ぜず韮山の代官江川坦庵は善庵を招き筆談で応答させた。
 弘化3年(1846) 幕府に召されて将軍に謁見、松浦侯の旧誼に応じて儒官となり、機密の政事にも参与した。
 著書に『楽我室集』『楽我室遺稿』『楽我室文稿』『善庵文鈔』『善庵詩鈔』『善庵遺稿』『善庵存稿』『善庵随筆』等がある。
 「善庵老人鼎」の下に、朱文の「鼎」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://kotobank.jp/word/%E6%9C%9D%E5%B7%9D%E5%96%84%E5%BA%B5
http://hishiki77.ld.infoseek.co.jp/1-2garou/taihaku/denki/asakawa-zenan.htm
http://fine-vn.com/cat_1/ent_36.html
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%92%A9%90%EC+%91P%88%C1
http://green.ap.teacup.com/tsukumo/2423.html
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1310.html


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