神山 鳳陽 ごうやま ほうよう
   

経過蓼紅蘋白洲
殘瓢再喚酌柁樓
漁歌聲絶鴎眠穏
與月平分湖上秋
蓼の紅きを経過し 蘋(ひし)洲に白し
残瓢再び喚んで 柁樓(=舵をとるため他より高くなっている船室)に酌す
漁歌声絶えて 鴎眠りて穏やかなり
月を与(とも)に平分(=均等に分ける)して 湖上秋たり 
135.5p×31p

文政7年(1824)生〜明治22年(1889)歿
 美濃に生まれ、京都に住す。名は述、通称は四郎、字は為徳・古翁といい、鳳陽はその号で、別号に三野々史・至明ともいった。経史に通じ、詩書に長じ、また書を善くした。一生官につかず、市井の間に塾を開いて、諸生を教授した。
 1869(明治2)年、西園寺公望は大いに勤王家を養成するという発想から京都に家塾立命館を開いた。鳳陽はそこで谷口露山・松本士龍・広瀬青邨・山中静逸・板倉槐堂・江間天江・富岡鉄斎・山本秀夫らと教官を勤めた。立命館大学の前身である。
 没後、『鳳陽遺稿』『鳳陽遺印譜二巻』が刊行されている。
 引首印は「別是一家春」、「鳳陽逸客」の下に、白文の「明印」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-60.html
http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/dasearch/dirsearch.php?id=oai%3Akindai.ndl.go.jp%3A40000816-00000&cc=01_02_03&keyword=&and_or=AND


参考文献一覧      HOME